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Channel: イギリスおかし百科 –あぶそる〜とロンドン
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第81話 Aberffraw cakes ~アバフローケーキ~

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okashi


<Aberffraw cakes アバフローケーキ >

ビスケットと紅茶なしでは日も暮れない国イギリス。そんなビスケット大国イギリスの最古参と言われているビスケットが近頃急にフィーチャーされています。イギリス一古くからあるビスケットと聞いたら、特に甘いもの好きでなくとも気になるもの。ましてやビスケット好きを標榜する私としては飛びつきたくなるような話題です(笑)

貝ガラで型をとるなんて、海沿いの村らしいアイディアですね☆

貝ガラで型をとるなんて、海沿いの村らしいアイディアですね☆

800年の歴史をもつというそのビスケットは長いこと静かに眠っていたのですが、可哀想に(?)昨今のイギリスのベイキングブームで揺り起こされてしまったよう。その名は「Aberffraw cakes」またの名を 「Teisen ’Berffro」。このイギリスお菓子百科でも何度か登場してきたので憶えてしまった方もいると思いますが、Teisen=ウェールズ語でケーキの意。つまりこのお菓子はウェールズ生まれ。’Berffro はウェールズの北西部Anglesy 島にある村 Aberffro(Aberffraw)の省略版。つまり「Teisen ‘Berffro」はAberffraw 村のケーキということ。13世紀にAnglesyで生まれたと言われるこのお菓子は、正確にはケーキというよりはビスケットのようなもの。貝の形をしており、Aberffraw 村のannual fair(お祭り)で毎年売られていたそうです。現地ではCragen Iagoと呼ばれるホタテ貝の貝殻に生地を押し付けて作られるそれは、材料はシンプルに小麦粉とお砂糖とバターのみ。バターたっぷりのリッチなショートブレッドのような配合です。なんだかフランスのマドレーヌをも思い出す、しゃれたお菓子に見えなくもありませんね。

真偽のほどは定かではないけれど、一番古いと言われると食べてみたくなりますね(^^

真偽のほどは定かではないけれど、一番古いと言われると食べてみたくなりますね(^^

ウェールズの端の端、大分辺鄙な土地に思えるこのAberffraw 村は実は中世の時代、ウェールズをまとめるGwyness王国の首都であり、ウェールズの政治の中心として栄えた土地。ウェールズの王が居を構えていました。言い伝えによると~そのAberffraw村の海岸を散歩されていたお妃さまが美しいホタテ貝の貝殻を手に取り、これでお菓子を焼くようにと臣下の者におっしゃったのが始まりだとか、、。他の説によると~ホタテ貝といえばガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者のシンボルマーク。敬虔なキリスト教徒だった領主Gruffudd ap Cynan(1075-1137)とその息子Owain Gwynedd(1137-70)の時代、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を思い起こさせるロマネスク様式の石造りの教会がAberffraw村に建てられたのに関係するとも言われています。この巡礼路はフランス語で Le chemin de Saint Jacques(サンジャックの道)と呼ばれていますが、サンジャックはホタテ貝の意味。巡礼を暗示するホタテ貝の形のお菓子がこの村に生まれたのは偶然ではないのでしょう。

さすが現代、アバフローケーキとバラブリスのフュージョンまで登場☆

さすが現代、アバフローケーキとバラブリスのフュージョンまで登場☆

いずれにしろイギリス一と言われる長~い歴史を持つこのビスケット、誕生の秘密はおそらくこれからもしっかり口を閉じたホタテ貝の中。今は古くて美味しいこのビスケットが世に出回り、スーパーでさえ気軽に買えるようになったことだけで有り難しとしましょうか。それにしても、このお菓子が生まれたのは紅茶文化が広がるずっと前、みんな、ビスケットのお供には何を飲んでいたのでしょう~ビール、ワインそれともミルク?やっぱりわたしは紅茶がいいなぁ~☆

 


第82話 Rich tea / Marie (Biscuits)~リッチティー/ マリー(ビスケット)~

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okashi


<Rich tea / Marie (Biscuits)リッチティー/マリー(ビスケット)>

「リッチティー」この言葉から想像するものは~お砂糖やミルクたっぷりの栄養リッチな紅茶?それとも見目麗しいお茶菓子が添えられたリッチなティータイム?とにかく何かプラスα感のあるちょっぴりいいものが頭に浮かびますね。実はこれ、イギリスのビスケットの名前。しかもイギリス1シンプルと言っても過言でないほどに飾り気がないビスケットというのだからおやっと首を傾げてしまいます。

richtea 1

王道マクヴィティーのリッチティー☆

イギリスでは、焼き菓子をあれもこれも「ビスケット」と称するので、日本人は混乱してしまうこともあるのですが、リッチティーはシンプルな分、私たち日本人がイメージする「ビスケット」という単語に一番フィットするものでもあります。お味は日本でもよく見かける「マリービスケット」にそっくりと言えば誰もが容易に想像できるはず。ただし紛らわしいことに、イギリスにはこのリッチティーとは別に、比較的少ないものの「Marie(マリービスケット)」も売られていたりします。ではマリーとリッチティーはどう違うのか?正直それほど大差はありません(笑)。マクヴィティー社の両者を比べてみると、カロリーも一緒、材料もほぼ一緒、強いて違いを見つければ、サンフラワーオイルかパームオイルかの違いくらい。恐らく一番違うのは表面の模様でしょう。リッチティーのほうは大抵、各社「RICH TEA 」や「ROUND」の刻印、一方マリーは判で押したようにどのメーカーも中央に「MARIE」の文字とその周りにぐるりと同じような幾何学模様(カギ模様)が描かれています。まるでこの柄でなければマリーと呼んではいけないと法律があるかのように。

所変われど誰もが見覚えのあるマリービスケット☆

所変われど誰もが見覚えのあるマリービスケット☆

リッチティーはビスケットを作るのが大好きな私もこれだけは作ろうとは思わない、同じものが作れるとも思えない、ある意味市販ビスケット界の空気的な存在(なくてはならないけれど、あるのが当たり前すぎるもの)。昔は名前もさらにシンプルに「ティービスケット」と呼ばれていました。市販のsemi-sweet ジャンルのビスケットの中でもあまりに基本的なビスケットのため、どの店がとかあるいは誰が作り出したのかなどの詳細は定かではありませんが、17世紀にYorkshire で富裕層の間食用として生まれたと言われています。一方マリーはと言うと、こちらの素性は大分明らか。時は産業革命後ビスケットの大規模ファクトリー生産の競争もそろそろ激しくなってきた頃。ガリバルディを生み出したビスケットファクトリー界の雄Peak Freans社は次なる新商品を売り出す機会を図っていました。そして1874年、ロシア大公女Maria Alexandrovnaとヴィクトリア女王の次男エディンバラ公Alfredの婚儀が執り行われるやいなや、この機を逃すまいと売り出されたのがマリー。現代のイギリスでもそうですがロイヤルファミリーのお祝い事は商品を売り出すのに絶好の機会。ビスケットそのものはプレーンでしたが、中央にMARIA(またはMARIE)の刻印、そしてそれをぐるりと囲むロシア帝国をイメージさせるカギ模様のそのビスケットは好評を博します。国内はおろかスペインやオランダなどの西欧諸国をはじめ、北欧や遠くインドやアフリカでもMarie またはMariaの名で広がっていったのですから、その人気の程が伺い知れますね。

素朴さが持ち味のリッチティー☆

素朴さが持ち味のリッチティー☆

飽きが来ないシンプルな美味しさが身上のリッチティーとマリー。そのシンプルさゆえに、砕いてチーズケーキやバノフィーパイのベースにしたり、他のケーキの副材料として利用されることもよくあります。イギリスでリッチティーを使って作るお菓子の最たるものが「Fridge cake(フリッジケーキ)」。これはどういうものかというと、砕いたビスケットに溶かしたチョコレートやバターなどを混ぜて型に詰め、冷蔵庫で固めるという簡単なもの。オーブンではなく冷蔵庫で出来てしまうので、「Fridge=冷蔵庫」ケーキという名がつけられているのです。手軽に出来るので、子供たちのおやつに家庭でよく登場するのですが、この子供の頃の思い出の味を忘れられずにGroom’s cake(結婚式のメインのケーキのほかに用意する「花婿さんケーキ」)にしてしまったのが、かのウイリアム王子。2011年の披露宴の際に振舞われたそれはリッチティー1700枚、チョコレート17Kgも使用したとてもフリッジケーキとは思えない豪華なケーキでした。素朴きわまるアヒルの子のようなフリッジケーキを優雅な白鳥に変身させたのはロイヤルワラントを保有するマクヴィティー社。過去にも王室のウエディングケーキを手がけてきた社ならではのロイヤルウエディングにふさわしい、ホワイトチョコレートの睡蓮の花が飾られた3段重ねのフリッジケーキでありました。

気軽に作れる「フリッジケーキ」は手作りおやつの大定番☆

気軽に作れる「フリッジケーキ」は手作りおやつの大定番☆

手の込んだ美しいお菓子や流行最先端のお菓子もそれはそれで美味しく、その時は感動しますが、ふと疲れた時などに「あ~食べたいな」と思うのはシンプルなもの。子供の頃から親しんだお菓子や、楽しい思い出と結びついたお菓子の味は、手作り、市販品にかかわらず、また戻りたくなく自分の中のお菓子原点。リッチティーとマリーはまさにそんな存在なのかもしれません。
一生懸命書いたらわたしも少々疲れてきたので、ちょっと失礼して、お菓子原点に戻ってきます~。

第83話 Cherry batter pudding/ Yorkshire pudding ~チェリーバッタープディング/ ヨークシャープディング~

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okashi


<Cherry batter pudding/ Yorkshire pudding チェリーバッタープディング/ヨークシャープディング>

「Cherry batter pudding」。文字だけ見ると一瞬、butter pudding?と見間違いしてしまいそうですが、乳製品のbutter(バター)ではなくbatter(バッター)であるところがこのお菓子の一番大事なポイント。batterとは卵と牛乳、小麦粉で作るどろりとした生地のこと。フリッターやてんぷらの衣くらい濃度の濃いものもバッターなら、クレープの生地くらいゆるゆるでもバッター。このバッターとチェリーを器に入れてオーブンで焼いたものが今日ご紹介する「チェリーバッタープディング」です。チェリーの産地 Kentの名物でもあるので、「Kentish Cherry batter pudding (ケンティッシュチェリーバッタープディング)」と呼ばれることも。粉は少なめのまさにクレープ生地のようなものを厚く焼くので、独特のもっちりした食感が楽しく、その中でジューシーなチェリーがはじけます。温かいままでも冷たくしていただいても、なかなか美味しいお菓子です。バッタープディングというよりは、フランス語の名前のほうが聞いた事があるという方が多いのではないでしょうか。「Clafoutis de Limousin」。このフランスはリムーザン地方の名物のチェリークラフティーとほぼ同じものなのです。イギリスの南東、海沿いに位置するケントは古くはぶどうやチェリー、ホップをもたらしたローマ人はじめ、ノルマンディなどヨーロッパからの入植者により独特の食文化がはぐくまれてきた地域。温暖な気候と地形にも恵まれ、イングランドの庭と言われるほどさまざまな野菜やフルーツが栽培されてきたのも、この地域の食のバリエーションの豊かさに大きく関わっているのでしょう。

モチモチの生地の中でチェリーがはじけるチェリーバッタープディング☆

モチモチの生地の中でチェリーがはじけるチェリーバッタープディング☆

ところで、このチェリーバッタープディングからチェリーを抜いた、ただの「バッタープディング」と呼ばれるものはイギリス国中で昔から食べられています。それはそうですよね、卵と牛乳、小麦粉をしゃかしゃか混ぜるだけという、これ以上ないシンプルな生地なのですから。この生地をフライパンで焼いてしまうと、「パンケーキ」となってしまうので、茹でるか蒸すか、はたまたオーブンで焼かないと「バッタープディング」とはならないわけですが、オーブンが普及する前はやはり、炉の火の上にかけた大鍋でなんでも同時に茹でるのが一番エコノミーな調理法。例えばHanna Glasse 著の 「The art of cookery made plain and easy(1747)」に出てくるBatter pudding(バッタープディング)は卵と牛乳、小麦粉で作ったバッターに少しの塩とジンジャーを入れてプディングクロス(蒸し布)に包んで90分ほど茹でたもの。ソースには溶かしバター。甘みもゼロですし、あまり食欲をそそる感じではありませんが、主食代わりのポジションであるとすれば、お腹を満たすには上等かもしれません。

チェリーを抜けばプレーンな「バッタープディング」になるけれど・・・

チェリーを抜けばプレーンな「バッタープディング」になるけれど・・・

主食代わりのバッタープディングといえば、現代のイギリスの食生活の中で忘れることの出来ない、大切なバッタープディングがあります。それは「ヨークシャープディング」。こちらはオーブンで焼くので「ベイクドバッタープディング」ジャンルの代表選手。プディングというとついついデザート的なものをイメージしてしまいますが、ヨークシャープディングも立派なプディングのひとつ。もともとは今のようにオーブンではなく、炉の火の上で焼かれている串刺しの肉の下で、肉汁や脂(dripping)を受ける受け皿の中に、バッターを直接流して焼いたものでした。そのため、名前も「Dripping pudding」 と呼ばれていました。これを一番最初に「Yorkshire pudding (ヨークシャープディング)」と称し紹介したのが、前述のHanna Glasseの「The art of cookery made plain and easy(1747) 」だと言われています。お肉が焼ける少し前に、熱々に熱せられた脂の中にバッターを流せば、お肉が焼けるのとほぼ同時に、表面は香ばしく、ぷわ~っと膨らんだヨークシャープディングも焼きあがります。当時は大きなトレー型に焼きあがったそれを、四角にカットしてサーブしたそう。グレービーをたっぷり吸ったそれは今も昔もメインのロースト肉の大事なパートナーです。ただし貧しい家庭では、お肉を食べる前にヨークシャープディングでお腹を膨らませてから、貴重なお肉を家族で分け合いました。さらに貧しい家庭では、ヨークシャープディングがメインディッシュだったとか、、、。そして残ったプディングには、お砂糖やフルーツのソースをかけてデザートに。ドリッピング味のプディングに甘いジャムをのせて食べたいとは今の時代は思えませんが、当時の貧しい子供たちにとってはとても美味しく感じられたに違いありません。

成功の秘訣はとにかく熱く熱した天板と油にバッターを注ぐこと☆

成功の秘訣はとにかく熱く熱した天板と油にバッターを注ぐこと☆

ちなみに、ドリッピング(お肉をローストする際に出る脂)の代わりにバターや植物油脂を使ったヨークシャープディングにフルーツを加えてデザートとすることは今もよくありますが、Eliza Acton著 「Modern Cookery for private families(1845)」に載っている、Light baked batter pudding はバターを塗った器によく撹拌したバッターを流して、熱いオーブンで焼くというもの。上手に作れば表面はかりっと、中はとっても軽くデリケートなプディングになるので、ジャム、あるいは軟らかく煮たフルーツを添えて召し上がれ~となっています。また現代のヨークシャープディングのように一人分ずつ小さく作るよう、カップで焼いてお皿にとりだし、お砂糖をたっぷり振り掛けるのもいいでしょう~とも添え書きが。こちらは今の世のものと何ら変わらず、実に美味しそうです。そう言えばちょっと形は違いますが、以前ご紹介したTewkesbury saucer batter もフルーツ入りバッタープディングのお仲間ですね。

プラムやりんご、ベリーなどを入れて焼けばヨークシャープディングも立派なデザートに☆

プラムやりんご、ベリーなどを入れて焼けばヨークシャープディングも立派なデザートに☆

さらにバッタープディング(ヨークシャープディング)にソーセージを加えて作ると「Toad in the hole (穴の中のヒキガエル)」なんておかしな名前になり、これはこれでイギリスのパブで人気の食事のひとつ。甘いものあり、セイボリーもあり、茹でるものも、オーブンで焼くのもあり、もうバリエーションがありすぎてこれ以上ご紹介すると逆に混乱を招きそうなので、今日のところはこの辺で筆をおかせていただきます~。

 

 

第84話 Ketish pudding pie ~ケンティッシュプディングパイ~

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okashi


<Kentish pudding pie ケンティッシュプディングパイ >

「イギリスおかし百科」も気づくともう84話目。登場したお菓子も悠に100は越えているかと思いますが、その中で△△プディング、△△パイというお菓子は相当数登場しているものの、その両方が付いた「△△プディングパイ」というものはなかったはず。「なになに、プディングなの?パイなの?はっきりしてよ。」と思わず言いたくなるこの名前。今でこそめったにお目にかかりませんが、ヴィクトリア時代にはわりと各地に存在していたお菓子。単に「プディングパイ」と言うこともありますが、特にイギリス南東部、Kent(ケント州)のものが今でも有名で「ケンティッシュプディングパイ」と呼ばれ古い郷土菓子として親しまれています。このプディングパイ、レント(イースター前の節食期間)の間によく食べられていたということもあり、「Kent lent pie」と呼ばれることも。またケントの中でも、海沿いの町Folkstone が発祥という説もあり「Folkstone pudding pie」という別名も持っています。

pudding pie1

さてこの紛らしい名前を持った「プディングパイ」、一体どんなお菓子なのかと言いますと、よく、カスタードタルトとチーズケーキの中間と表現されます。フィリングのメイン材料は牛乳と卵とお砂糖にバターそして ground rice (米粉)。米粉さえ入らなければカスタードに近いのですが、この米粉が入るがゆえに、固さがでて、チーズは使わないものの、まるでチーズケーキのような食感になるのです。チーズケーキといってもニューヨークチーズケーキのような食感ではなく、ヨークシャーカードタルトのようなチーズケーキのそれですが。カランツも入るので、見た目もヨークシャーカードタルトにそっくりですね。このフィリングをパフペストリー(パイ生地)またはショートクラストペストリーで作ったケースに入れて焼くので、外側がパイ、フィリングがプディングのようということで、「プディングパイ」なんていう名になったのだとか。

米粉+牛乳+卵=なぜかチーズケーキ風に ??

米粉+牛乳+卵=なぜかチーズケーキ風に ??

作り方はいろいろありますが、基本は、牛乳と米粉を煮てペースト状にしたものに、バターやお砂糖、卵など他の材料を混ぜていくもの。これをパイ生地に詰めてカランツをちらして焼けば出来上がりです。有名なBeeton婦人の家政書(1861)にも「Folksotne pudding pie」として載っていますが、こちらは1pint(568ml)の牛乳に対して、3oz(約84g)の米粉とバター、1/4lb(約112g)のお砂糖、卵が6個。これをパイ生地を敷いた小型のタルト型12個に流し、カランツをちらして焼くこと、となっています。が、通常この分量なら卵は1~2個で充分なはずで、ちょっと卵入りすぎじゃない~?なんて声もあるレシピではあります(笑)。そうそう、このプディングパイの大事な要素を忘れていました。牛乳はベイリーフ(月桂樹)あるいは、レモンの皮で香り付けをしておくのがポイントです。pudding pie3

実はこのケントのものの他にもうひとつ有名なプディングパイがあります、それはOxfordshire はDeddington という古いマーケットタウンの「Deddington pudding pie」というもの。この町で毎年11月に開かれていたMartinmas( St.Martin’s day)のフェア(お祭り)で売られていたため、このお祭りの別名は pudding-pie Fare 。美味しそうな響きのいい名前のフェアですが、このフェアは主に召使や従者などの雇用契約、家畜の売買などがメインだったため、1930年代には行われなくなってしまいました。同時にプディングパイも残念なことに消えてしまったのですが、残っている資料によると~こちらは他のカードタルトのようなプディングパイとは姿が異なり、フィリングはプラムプディング(ドライフルーツたっぷりのいわゆるクリスマスプディングのようなもの)で、外側がかなり固いしっかりしたペストリー生地、サイズは大小さまざまなタイプが売られていたそう。ケンティッシュプディングパイとは姿こそ違うものの外側がパイ、プラムプディングがフィリングとして入っていると言うことで、やはり「プディングパイ」と言う訳ですね。
プディングであり、パイである「プディングパイ」。この一筋縄ではいかないところが、また魅力のイギリススイーツ。知れば知るほどもっと知りたくなるイギリス菓子の世界、次はどんなお菓子が登場するのか次回もお楽しみに ♪

 

 

 

第85話 Gypsy tart ~ジプシータルト~

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okashi


<Gypsy tart ジプシータルト>

写真が綺麗で懇切丁寧な説明のついた日本のお菓子の本に比べ、ずらずらと文章ばかりで、ステップステップの写真どころか、出来上がりの絵すらない事も多いイギリスのレシピ本。せめて完成図くらいないと、作っても果たしてこれが正解なのか分からないじゃない~なんて思っていたものですが、近頃は美味しそうな写真で購買意欲をかき立てるお料理本も大分多くなってきました。今度はそうなったらなったで、天邪鬼なわたしはイギリスの昔ながらの字ばっかりの本も案外いいのよね~なんてパラパラ眺めたり。そんな時の気分はレシピを読んでいるというより、昔の物語を読んでいるようなそんな感じ。想像がむくむくムクムク。名前だけでもうすでに「なんだか美味しそう~」と思うもの、ありがちな名前だけれど、材料と作り方を見たら、「あれ変わっている~どんな味になるんだろう?」と急に興味が沸き始めるものなどいろいろ。かなり古めのレシピ本になると、出来上がり図の想像はもちろん、それを実際作っていたであろうキッチンや道具、暮らしぶりまで思い描くものだから、時代小説や推理小説の気分まで味わえるという、、、。要は写真のないレシピ本を読んでは想像を膨らませ、よだれをたらしているワケですが(笑)。そんな中でもわたしの食いしん坊心を奪ったのが「Gypsy tart(ジプシータルト)」というお菓子。なんて興味をそそるネーミング☆そして、材料とレシピを見て、またまた釘付け、、、。これはそれほど古いお菓子ではなく、特に1960年~1970年代にかけてよく食べられていたものなのですが、まぁ実にイギリス的。何がって、もうとにかくそのシンプルさというか大雑把さが斬新なのです、、まぁ聞いてください。

Kent 州で もしこれを見つけたら是非一度チャレンジを ☆

Kent 州で もしこれを見つけたら是非一度チャレンジを ☆

生まれも育ちもイギリス南東部ケント州のこのお菓子、引っ込み思案なのか他の地ではめったにお目にかかりません。見た目は他のイギリス菓子同様相変わらずそっけない茶色一色。これと言った特徴を見出すことはできないのですが~まずは一口。思わず笑ってしまうほどの甘さにイギリス菓子の洗礼を受けます。そして次に気になるのが、甘いけれど、もう一口と食べたくなる軽いその食感。トフィー風ではあるけれど何か違う、、、。これを食しただけで作り方を当てる人がいたとしたらシャーロックホームズも真っ青な名探偵。わたしが推理したらきっとホームズどころかワトソン君の足元にも及ばなかったでしょう。でもお菓子の謎はレシピを見ればすぐに解けるのがいいところ…。

GYPSY TART
<Ingredients>
1(410g)tin evaporated milk
340g dark muscovado sugar
10” Prebaked shortcrust pastry case
<Method>
Preheat the oven to 200℃. Whisk the evaporated milk and sugar together for approximately 10-15minutes until light and fluffy. Pour the mixture into the pastry case. Bake for 15minutes or until just set. Allow to cool and serve cold.

材料は本当にこれだけ☆

材料は本当にこれだけ☆

驚くことに材料はたったの三つ。ショートクラストペストリーの他は、つまりフィリングの材料はなんとevaporated milk(エバミルク)とmuscovado sugar(濃い茶色のお砂糖)のみ!この二つをただひたすら泡立ててふわっとしたら、空焼きしてあるショートクラストペストリーのケースに入れて15分ほど焼くだけというのですから、材料も作り方も唖然とするシンプルさ。卵も粉も一切入らずこれでフィリングが固まるのか、一体どんな味になるのか実はレシピを見ると余計に謎が深まるのがこのジプシータルトなのでした。でも案ずるより生むが易し、実際作ってみると確かに、固まるはずがないと思っていたフィリングもなんとかカットできる程度にふんわりと固まってくれ、お味もとてもエバミルクとお砂糖だけとは思えない甘いけれどコクのある風味に仕上がっているのでした。

童心に戻れる、予想を裏切らない甘さのジプシータルト☆

童心に戻れる、予想を裏切らない甘さのジプシータルト☆

さてお次は、こんな不思議なレシピには付き物の、誕生秘話。生まれは1950年代初頭、戦争は終わったもののいまだ食料配給制度が続くイギリス。ある日一人の夫人が窓の外を見やると、ジプシーの子供たちが遊んでいます。見るからに栄養不良の痩せ細ったその子供たちに何かおやつを食べさせてあげたいと戸棚を開けてみると、そこにあったのはエパミルクの缶が1缶とお砂糖だけ、、、。これで何が出来るかしら?考えたところで、あるのはその二つだけ。とにかくボールに開けてしゃかしゃかかき混ぜ、ペストリーに流して焼いてみたのでした。このお話し自体は後付けではないかとよく言われますが、限られた食料しか手に入らないこの時代、誰かが苦肉の策で作り出したということは強ち間違いではないでしょう。学生時代を1960年代から1970年代のケント州で過ごした人々にとってジプシータルトはイコール「スクールディナー」。そのコスト面と手軽さから給食デザートの大定番だったそうで、ノスタルジックな記憶の詰まった甘~い思い出の味のようです。
英語のEvaporated(=水分を蒸発させて濃縮すること)milkを訳してエバミルク。エパミルクをスーパーで見つけて「ジプシータルトが食べたいな」そんな想像をしてしまったら、あなたはもう完璧なイギリス菓子ホリック☆抜け出すことは相当困難と諦めて、歯もハートも溶ける甘いイギリス菓子の世界にどっぷり浸ってくださいね(^^

 

第86話 Macaroon / Ratafia Biscuits ~マカルーン/ ラタフィアビスケット~

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okashi


<Macaroon / Ratafia biscuits マカルーンとラタフィアビスケット>

日本同様、イギリスでもカラフルなパリのマカロンが流行ってしばし。ホテルのアフタヌーンティーからスーパーのお菓子売り場まで、カラフルなマカロンは小さいながらもわたしが主役とばかりに存在を大きくアピールしています。華やかさに弱冠欠けるイギリススイーツの中、確かにファッショナブルさでは群を抜く存在なので、人気があるのもわかります。その人気は昨今のベイキングブームにも乗り、次々に売り出されるマカロン手作り用便利(に見える)グッズ。腕に覚えのあるベイキング自慢たちは、あの少々トリッキーなマカロン作りをいかに攻略するかに粉骨砕身。まだまだこのブームは終息の兆しが見えません。macaroon 1

ところで、イギリスにはこのカラフルなマカロンとは別に、卵白とアーモンド、お砂糖だけで作る素朴なマカロンが昔から存在します。特徴は外側さっくり中ねっちりの食感と、上にのせられた皮剥きアーモンド。これがマカロン?と思われるかも知れませんが、これこそ、イタリア生まれ、フランス育ちのマカロンの原型に近いもの。こちらはフランス風にMacaron(マカロン)ではなく、「macaroon (マカルーン)」と綴ります。フランス各地で姿を変えながら作り続けられてきたマカロンを見てみると、大抵はどれもイギリスのマカルーンと同じ、卵白にアーモンドとお砂糖を加えてシンプルに焼き上げたもの。おなじみのクリームサンドの色つきマカロンが登場するのは、ようやく1900年代に入ってからのこと。有名なナンシーのマカロンも、サンテミリオンのマカロンも、どれもイギリスのマカルーンと似かよっていますし、こちらがもともとのマカロンの姿なのでしょう。

フランスの地方地方のマカロンたち☆

フランスの地方地方のマカロンたち☆

1747年出版のHannah Glasse 著「The art of cookery made plain and easy」 を見てみると、To make macaroons と題し、マカルーンの作り方がのっています。まずはアーモンドの湯剥きからスタート。薄皮をむいたアーモンドを乾かして粉にし、砂糖と卵白を混ぜ、wafer paper (でんぷんから作る食べられる紙)にスプーンでのせて、オーブンで焼きましょう~となっています。これはもうほぼ現代のイギリスのマカルーンの姿。Wafter paper またはrice paper とも呼ばれるこの食べられる薄いシート状のものは、現代のシリコン加工をされたつるつるのオーブンシートが登場する前、天板にくっ付きやすいマカロンなどをのせて焼き、その紙ごと食べられるようにと使われていたもの。今もたまに使うことはあるので、専門店などにいけば見つけることができます。今でこそ簡単に作られるマカルーンですが、当時はアーモンドを粉にしたり、固い塊で売られていたお砂糖を粉にしたりと、そこからスタートするので結構大変だったことでしょう。

マカロンは意外と昔から存在するのです☆

マカロンは意外と昔から存在するのです☆

このマカルーンの兄弟分に「Ratafia Biscuits(ラタフィアビスケット)」 と呼ばれるものがあります。イタリアの「アマレッティ」(アーモンドの香りの小さな焼き菓子)に似た姿で、こちらもイギリスでは18世紀にはすでに登場していたようです。マカルーンとの違いは、小さく一口サイズに作る点と、杏仁豆腐のような強いアーモンドの香り。この香りを出すために、ビターアーモンド、あるいは杏の仁を挽いたものを原料に加えて作ります。どちらも手に入りづらいので、今ではビターアーモンドエッセンスなどで代用することも多いのですが、いまだ現役のお菓子です。このラタフィアビスケット、食後のお茶に添えられていたり、トライフルなどのクリーム系デザートの材料としても使われることが多いのですが、昔はその名も「Ratafia(ラタフィア)」と呼ばれるお酒と共にいただくものでした。このラタフィアと呼ばれる飲み物は17~18世紀に人気のあったブランデーベースのリキュールで、アーモンドや桃、さくらんぼ、あるいはアプリコットの仁で香り付けされたもので、時にはコーディアル風にノンアルコールのものもあったとか。一番初期のラタフィアビスケットは、ビスケット自体にはアーモンド香はなく、このラタフィアと共にいただくので、その名が付いていたそうです。また、Ratafia という語はビターアーモンドの香り自体を指していたこともあり、ratafia essenceはビターアーモンドエッセンスのこと、「ratafia cream」と言えば、アプリコットの仁で香り付けしたデザートのことでした。ここでひとつMrs.Beetonの「Household Management」(1861)からRatafias のレシピをご紹介すると~材料は1/2パウンドのスイートアーモンド、1/4のビターアーモンド、3/4パウンドのお砂糖、卵白4つ分、これらを混ぜ合わせて(アーモンドは粉に挽いてから)、小さく紙に落として、オーブンで焼くこと10~12分。焼き上がりのサイズは大きめのボタンくらいが望ましい~とのこと。本物のビターアーモンドの香りの効いたラタフィアビスケット、食べてみたいですね。

アーモンド香るラタフィアビスケットは今も健在☆

アーモンド香るラタフィアビスケットは今も健在☆

スコットランドのトラディッショナルなトライフルにはこのラタフィアビスケットをスポンジ代わりに、あるいはスポンジと共に使うことがあるのですが、もうひとつどうしても最後にご紹介したい、スコットランドの不思議なマカロンがあります。その名も「Scottish macaroon(スコティッシュマカルーン)」。こちら、なんと材料はじゃが芋。マッシュドポテトに粉砂糖をどんどんどんどん大量に入れていき、粘土状になったところでバー状にカット、チョコレートコーティングしてココナッツをまぶす~と言う代物です。お砂糖が溶けてまとまりフォンダン状になったところにチョコレートというダブルパンチですから1本食べきるのは至難の業ですが、スコットランドのsweet toothたちにとってはあま~い懐かしの味。Lees社のものがオリジナルとして有名で、懐かしのパッケージのまま売られています。今はこちらにはポテトは入れられていないようですが、1931年から愛され続けているこのLees社のマカロン、怖いもの見たさでもかまいません、もしどこかで見かけたら是非チャレンジを☆

第87話 Jaffa cakes ~ジャファケーキ~

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okashi


<Jaffa cakes ジャファケーキ >

今年はなかなか梅雨が明けませんが、湿度の高い日本、ビスケットをお皿に出しっぱなしにしていたら湿気ちゃったわ~なんてこと、よくありますよね。今から25年程前のイギリスで、この「ビスケットが湿気てやわらかくなる」という現象が問題解決の鍵となった裁判がありました。

jaffa cake1

イギリスに国民的人気を誇るJaffa cakes (ジャファケーキ)」というお菓子があります。直径5.5cmほどのビスケット型で12枚ひと箱に入ったそれは1927年にマクヴィティ 社(現United Biscuits社)が売り出してから紅茶のお供として愛され続ける超ロングセラー。スポンジケーキとビスケットの中間のような薄い生地の上にオレンジのゼリー、そしてチョコレートのコーティング、この三味が一体となりお口の中で奏でるハーモニー(どこかのCMのようなセリフですが)、わたしも大好きなイギリスビスケットのひとつ。「ビスケット」、、、そう名前にケーキとつきますが、見かけや扱われ方は「ビスケット」、この曖昧さゆえに、ある時裁判沙汰の問題が勃発しました。「ケーキって言ったらケーキだよ」と主張するマクヴィティ側、「見るからにビスケットじゃないか」と主張する政府、正直どっちでもいいんじゃない?と思ってしまいますが、これが実は大問題。イギリスのVAT(付加価値税)日本の消費税に匹敵するものは20%と高いのですが、基本、生活必需品に対しては非課税。食品も細かく区分されており、ビスケットは非課税、チョコがけビスケットは贅沢品とみなされ課税対象。そしてなぜかケーキに関してはチョコレートがかかっていてもいなくとも非課税。ということはジャファケーキがもしビスケットなら、チョコレートコーティングがされているので、政府はたっぷり徴税できるというわけ。両者譲らずしばし論争は続きますが、結果はマクヴィティ側の勝ち。「時間経過と共に湿気るのがビスケットで、乾燥して固くなっていくのはケーキ」という基本概念(?)に基づき実験した結果、ジャファケーキは固くなっていったので「ケーキである」と結論付けられたためでした。

オレンジの酸味とチョコレートのほろ苦さを優しい味のベース部分が支えます☆

オレンジの酸味とチョコレートのほろ苦さを優しい味のベース部分が支えます☆

でもチョコチップビスケットやチョコレートサンドのビスケットは非課税で、チョコレートが上にかかっていると課税されると言うのも不思議な話しですよね。笑ってしまうのはジンジャーブレッドマン。目に使われる二粒のチョコレートまでは非課税ですが、そこにボタンやベルトのチョコレートがつくと課税対象。なんて難しいんでしょう~。こんな感じで笑っちゃうものが沢山あります。お菓子作りによく使うジンジャーのシロップ漬けは非課税、このシロップ漬けにお砂糖をまぶしたクリスタライズドジンジャーは課税対象。HMRC(Her Majesty’s Revenue and Customs イギリスの歳入税関庁)いわく、「手でつまんで食べる甘く加工したフルーツは課税対象」なので、そのままお茶菓子として食べることもあるクリスタライズドジンジャーは課税対象になってしまうのですね。で、もっとすごいのは、トフィーアップル(りんご飴)は棒に刺さっていれば非課税(手で直接つまみませんからね)、トフィーがけしただけで棒に刺さずに売られている場合は課税対象なのだそうです、、、もはやHMRCのその労を厭わない区分け作業に脱帽です。

今ではいろいろな形やフレイバーのあるジャファケーキ☆

今ではいろいろな形やフレイバーのあるジャファケーキ☆

話しをジャファケーキに戻しましょう。ジャファケーキのJaffa はイスラエルのJaffaという町の名に由来するJaffa Orangeというオレンジの品種から。マクヴィティは「ジャファーケーキ」という名を商標登録しなかったので、キャドバリーはじめ、スーパーのオウンブランドものなど各メーカーから様々なジャファケーキが発売されています。姿も四角いものやバー状のもの、ロール型のもの、近頃ではジャファケーキといいつつ、オレンジではなく、チェリー味やストロベリー味、アップル&ブラックカラント味なんてものまで登場。どれも長く続かないところを見るとオリジナルのオレンジ味には敵わないようですが。それにしても、チョコレートがけ云々はさておき、ビスケットもケーキも生活必需品とみなしてくれるイギリスって素晴らしい!日本なら同じ政策を採っても、きっとビスケットもケーキも贅沢品ということで課税対象でしょうから。わたしにとってはビスケットとケーキはお米より生活必需品なのに~。

 

第88話 Pontefract cakes ~ポンテフラクトケーキ~

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<Pontefract cakes ポンテフラクトケーキ>

イギリス人にとっては非常に馴染みのあるお菓子に「ポンテフラクトケーキ」というものがあります。この名前から一体どんなケーキをイメージしますか?これまで「オーツケーキ」やら「ケンダルミントケーキ」など大分「ケーキ」と名の付くお菓子に想像を裏切られてきましたから、こう聞く以上、柔らかいスポンジケーキやパウンドケーキのようなオーソドックスなものは登場しないわよね~とは予想されると思いますが、きっとあらかたの想像をはるかに超えてくれるのが今日ご紹介する「ポンテフラクトケーキ」。

タイヤのゴムのような、消しゴムのような、、、いえいえ、古典的人気を誇る立派なお菓子です☆

タイヤのゴムのような、消しゴムのような、、、いえいえ、古典的人気を誇る立派なお菓子です☆

「これがケーキ?」。はい、そうなんです。色も形もまぁ~わたしたち日本人の持つケーキのイメージ(ショートケーキ)の真逆をいく、漆黒のコインサイズのこれがPontefract cakes またはPomflet cakesと呼ばれるもの。イギリスのヨークシャー地方南西部にあるPontefract (ポンテフラクト)という町で作られ始めたため、この名が付いています。表面にプレスされている印はポンテフラクト城。1400年、当時のイングランド王リチャード2世が暗殺されたことでも有名なお城です。その当時この町は「ポンフレット」と呼ばれており、シェークスピアの史劇にも登場するので聞き覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

細長いケーブル状のリコリスも人気☆色も黒だけとは限りません。

細長いケーブル状のリコリスも人気☆色も黒だけとは限りません。

さて、このタールのように黒光りした物体の正体は、日本人にとってハードルの高い例の「リコリス(甘草)」。一度怖いもの見たさで口に入れ、そのなんとも表現しがたい味と香りに思わず吐き出してしまった人も少なくないはず。このリコリスがいつイギリスに現れたかについては、ローマ人がアジアから持ち込んだと言う説や、十字軍がもたらしたというものなど諸説あるのですが、ポンテフラクトにはベネディクト派の修道院の僧侶が1090年頃に薬として持ち込み、栽培をはじめたと言う説が好まれているようです。肥沃なヨークシャーの土にあったリコリスは、その後ポンテフラクトを中心に栽培が盛んになり、1750年ごろまでにはポンテフラクトだけで47軒ものリコリス農家があったそう。ただし当時はあくまでのどの痛みを抑えたり、口の渇き、胃のもたれなどを抑える薬としての使用法。今のような嗜好品としての「リコリス」を生み出したのは、当時、リコリス農家の家族を持ち、かつ薬剤師だったGeorge Dunhill氏。1760年に彼がリコリスに砂糖を加えて、甘いのど飴「ポンテフラクトケーキ」を作り出してからは、リコリスの人気はさらに急上昇。ポンテフラクトケーキは町の一大産業となります。生誕から250年を越えるポンテフラクトケーキの姿は今も昔のまま、表面のエンボスが特徴的。現代はオートメーションで作られるその模様も、1960年頃まではひとつひとつ手でスタンプが押されていました。そのスタンプを押す人はCaker またはthumper と呼ばれ、熟練した職人になると1日になんと30,000個も押していたのだとか。いわばポンテフラクトの町を象徴するこのスタンプは、1872年、ポンテフラクトで行われたイギリス初の国会議員の無記名投票の投票箱の封印にも使われます。確かに言われてみれば手紙の封印に使われるシーリングワックス(封蝋)そっくりですものね。

リコリスの詰め合わせ「liquorice allsorts」とレコードのような「liquorice wheels」☆

リコリスの詰め合わせ「liquorice allsorts」とレコードのような「liquorice wheels」☆

このポンテフラクトケーキの最盛期は20世紀前半から中頃まで、その後チョコレートにすっかり人気を奪われ、ポンテフラクトの町から、リコリス畑はいつしかその姿を消します。現在ポンテフラクトでポンテフラクトケーキを作っているのはグミで有名なHARIBO社(前Dunhills)やTaveners として知られるTangerine社(前Wilkinsons of Pntefract)。原料のリコリスはスペインやトルコなどからの輸入品ですが、一度消えたポンテフラクトケーキの火がまた灯され、この町からリコリス菓子が世界中に輸出されるようになりました。今では毎年7月にポンテフラクトの町でリコリスフェスティバルが開かれるほどまた町の名物に返り咲いたリコリス。慣れれば美味しく感じるはずのリコリス菓子、もう一度試してみたくなってきたのではないでしょうか(^^)

小枝に見えるのはリコリスの根=リコリスルート。自然の味覚にクラリとします(^^;)

小枝に見えるのはリコリスの根=リコリスルート。自然の味覚にクラリとします(^^;)

スーパーにもよく見るとかなりの種類のリコリス菓子が並んでいます。細長いひも状のもの。それをくるくるとレコードのように巻いたもの。色も黒だけでなく、真っ赤から真っ青、白黒ストライプのものなど実にさまざま。フレイバーもストロベリー味やブルーベリー味、ミント味など見た目からはもう何がなんだか分かりません。地味な色合いが多いイギリス菓子の中でも、トップクラスに派手に色付けされたものではないでしょうか。そうそう、瓶入りのカラフルなキャンディーが並ぶ昔ながらのスイーツショップに行くと、片隅にからからに乾いた小枝のようなものが売られていることがあります。実はこれ、リコリス(甘草)の根っこ。この甘い根っこをカシカシかじると言う、なんとも素朴に過ぎるお菓子というか、根っこ(笑)。南の国で子供たちがサトウキビをかじるように、イギリスでは子供たちがこれを噛んでいた時代もあったのでしょう。ポンテフラクトの町では、数年前にリコリスの栽培もまた始められ、なんでもこのリコリスルートを売る計画があるのだとか。。。飽食の世の中、この究極にシンプルなおやつが今の世代にどう受け取られるのか楽しみですね。
この根っこに関しては~正直わたしは結構キビシイですが。。。(^^;


第89話 Fool /Snow ~フール/ スノウ~

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<Fool / Snow フール/スノウ>

今日最初にご紹介するのはイギリスデザート界のかわいそうな名前2トップのうちひとつ、「Fool(フール)」。ご存知のとおり「fool」はエイプリルフールのフール、つまり「お馬鹿さん」の意。これがどんなデザートかを説明する前に~気になるもうひとつのかわいそうな名前を持つデザートは、そう、以前に登場した「トライフル(つまらないもの)」です。さて、今日のお題のフールですが、偶然か否かそのトライフルの親戚。クリームまたは卵入りのクリーム(カスタード)にフルーツのピュレを混ぜ込んだデザートです。ただ混ぜるだけでいいので、スポンジを敷いたり、綺麗な層を作ったりする必要がない分、トライフルよりさらに簡単。なるほどどんなお馬鹿さんでも作ることができるからこんな名前なのね~と納得してしまいそうになるほどお手軽。ですが、一応語源としてはmash(押しつぶす)を意味するフランス語の ‘fouler’ から来ていると言われています。

ルバーブフールは混ぜすぎずマーブル模様を残すとキレイ☆

ルバーブフールは混ぜすぎずマーブル模様を残すとキレイ☆

冷やしていただくデザートなので、夏になるとよく登場するフールですが、特にクローズアップされるのがグーズベリーの登場する初夏。それはフール=グーズベリー、グーズベリーと言えばフールを想像する位に定番の組み合わせだから。パイと言えばアップル、おにぎりと言えば梅干(?)それくらい切っても切れない間柄なのです。ちなみに2番手はルバーブフールでしょうか。お砂糖を加えて軽く煮崩れたグーズベリーを時には裏ごし、時にはそのまま、泡立てた生クリームにそっと混ぜ込んだフール。さらにグーズベリーのベストフレンド、エルダーフラワーで香りをプラスすればまさに夏の訪れを象徴する味。家庭で作る簡単デザートなので、意外とレストランなどでは遭遇しないのですが、スーパーの冷たいデザートコーナーなどにはおいてありますので、見かけたら是非一度お試しを。

フールと言えばグーズベリー☆

フールと言えばグーズベリー☆

17世紀から人気が出始めたというフール。当初は煮て柔らかくしたフルーツのピュレにお砂糖と卵を加えて濃度をつけたもので、クリームは入っていませんでした。そこにローズウォーターやオレンジフラワーウォーター、時にはムスクやりゅうぜんこうで香り付けをしたのだとか。18世紀に入ると生クリームが加わり、卵が抜けることも多くなり、現代のフールに近づいていきます。

スーパーのフールはいつもより濃厚なフルーツヨーグルトのよう、、、☆

スーパーのフールはいつもより濃厚なフルーツヨーグルトのよう、、、☆

今と違い冷蔵庫やましてや冷凍庫などない時代。冷たいデザートは豊かさの証、チューダー朝からヴィクトリア時代にかけて、華やかな場ではカスタードやクリーム系、ゼリーなど冷たいデザートがバンケットのテーブルを彩りました。その頃、フール同様テーブルに並んだものに「Snow(スノウ)」というものがあります。その名のとおりふんわりとした雪のような白いデザート。フールがフルーツピュレに卵黄や全卵を入れるとしたら、こちらはフルーツピュレにメレンゲ、もしくはメレンゲと生クリームを混ぜ合わせたもの。りんごのピュレがベースのアップルスノウがもっとも定番です。今でもごく稀に料理本などでは見かけますが、姿を消しつつある昔ながらのデザート。雪のように儚い食感はまさに名前のとおり。これもとても簡単に出来るので一度作ってみるのも楽しいかもしれません。

淡雪のようなスノウはふわっとお口での中で融けていきます☆

淡雪のようなスノウはふわっとお口での中で融けていきます☆

ビクトリア時代に一世を風靡したビートン婦人のレシピを載せておきますので、ご興味ある方は是非チャレンジを。

<APPLE SNOW>
Ingredients- 10 good-sized apples, the whites of 10 eggs, the rind of 1 lemon, 1/2lb.of pounded sugar.
Mode- Peel, core, and cut the apples into quarters, and put them into a saucepan with the lemon-peel and sufficient water to prevent them from burning- rather less than 1/2pint. When they are tender, take out of the peel, beat them to a pulp, let them cool, and stir them to the whites of the eggs, which should be previously beaten to a strong froth. Add the sifted sugar, and continue the whisking until the mixture becomes quite stiff; and either heap it on a glass dish, or serve it in small glasses. The dish may be garnished with preserved barberries, or strips of bright- colored jelly; and a dish of custards should be served with it, or a jug of cream.
Mrs. Beeton のHousehold management(1861)より

ビートン婦人のレシピは超シンプル。レモンの皮で風味付けして煮たりんごのピュレにしっかり泡立てたメレンゲを加えただけのもの。材料は10個のりんごと10個分の卵白、225gのお砂糖とレモンの皮1個分とこれだけです。ただそれだけでは寂しいと思ったのか、出来上がりにベリーのジャムや明るい色のジェリーを飾ったり、カスタードやクリームを脇に添えてもいいですよ~とサーブする時のアドバイスも加えられています。
時にはローズマリーの小枝を上に刺して、雪景色を表現することもあったという「スノウ」。茹でたり蒸したりと、重~いスイーツが主流だった時代、ふんわり、冷たく、お口の中で溶けていくデザートはさぞやもてはやされたことでしょう。もしも、タイムマシンに乗れるのなら、昔の王侯貴族のパーティーの様子をこっそり覗き見してみたい~あわよくばお味見も、、、(^^)。

第90話 Posset~ポゼット~

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<Posset  ポゼット>

材料はたった3つ。生クリームとお砂糖、そしてレモン。たったこれだけでちょっとひとに自慢できるほど美味しいデザートを作ることが出来ます。しかも所要時間はものの5分ほど(冷蔵庫で固める時間は除きますが~)。その名は「posset (ポゼット)」。温めた生クリームとお砂糖に、レモン果汁を入れて冷やすだけなのですが、レモンの酸の作用で生クリームがちょうどいい具合に固まってくれ、まるでなめらかなレアチーズケーキのようななんとも素敵なデザートに変身するというお役立ちレシピです。

posset1

イギリスプディングの中でもそのシンプルさは群を抜いていますが、シンプルと言うことは昔から存在すると言うこと。その歴史は古く、「マクベス」はじめ「ウィンザーの陽気な女房たち」などシェークスピアの物語にも度々登場するくらいなので、16世紀後半、17世紀にはもうすでにポピュラーな飲み物だったようです。飲み物?そう実は当時のポゼットは食べると言うよりは、もっと液体に近い飲み物のような姿でした。温めた牛乳にお砂糖とアルコール(エールやワイン、もっとも人気だったのはSack(サック)というシェリー酒のようなお酒)を加え、凝固(分離)させたもの。もともとは風邪をひいたときや、病人や老人の栄養食として摂られていたものでした。が、その美味しさからか、次第にデザートとして用いられるようになります。一般庶民のポゼットは牛乳にお砂糖とエール、そこにパンで濃度をつけたもの。富裕層のそれは、牛乳は生クリームに代わり、ビスケットや卵、アーモンドなどで濃度を付け、シナモンやメース、王侯貴族になると、ムスクやりゅうぜんこうで香りをつけるという凝りよう。もちろんお砂糖とサックも入ります。その組み合わせる材料により作り方は異なりますが、高級バージョンは、泡立てた卵にお砂糖とサック、スパイスを加え、そこに高いところから温めた生クリームを勢いよく注ぐ、というもの。かき混ぜることはせずに、そのまま火のそばに置いて静かに保温しておき、全体が落ち着いたところでサーブ。上手に作られたポゼットは3層に分かれるそうです。一番上部はふわふわと雪のように泡立ち、真ん中はなめらかでスパイスの効いたカスタード状、一番下は濃いアルコールの液体部分とこの三つ。‘ the grace ’ と呼ばれたトップのフォーム状の部分はスプーンですくって口に運び、液体部分はドリンクとして飲むのですが、これを上手に食べるために専用の「ポゼットポット」というものが存在しました。主に陶器製のそれは両側にハンドルのついたティーポットのような姿。ただし注ぎ口のように見える部分からは液体を注ぐのではなく、ここに口をつけて直接一番下の液体を飲むという、そんなスタイル。ヴィクトリア&アルバートミュージアムではこのポゼットポットのコレクションを見ることが出来ます。

簡単おいしい現代のレモンポゼットにはベリーを入れても◎

簡単おいしい現代のレモンポゼットにはベリーを入れても◎

Sack posset とも呼ばれる、このミルクをアルコールで分離させるタイプのポゼットが一世を風靡したのは18世紀まで。一度姿を消し、今から100年ほど前に再度現れたときには、サックや卵は材料から消え、現代のレモンなどの酸でクリームを固める食べるタイプのポゼットに変わっていました。はじめ、シンプルだからこそ昔から存在し続けているのだろうと思っていたポゼット。実は昔のほうがなかなかに手間の掛かるかなり贅沢なデザートだったという、ちょっと珍しいパターンのイギリスプディングなのでありました。このポゼットのお仲間には「Syllabub(シラバブ)」はじめ「Junket(ジャンケット)」など、まだまだご紹介したい面々が多数。フールトライフルだけではない、意外と存在する軽いクリーム系のイギリスプディング(デザート)たち。粉好きとしては少々物足りないのですが、ビスケットでも添えつつ、これからもぼちぼちご紹介していきますね☆

 

 

第91話 Syllabub ~シラバブ~

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<Syllabub シラバブ>

 

イギリスのコールドプディングシリーズ、本日のお題は「Syllabub(シラバブ)」。このユニークな響きの名前は、当時白ワインの代表的な産地であったフランスはシャンパーニュ地方の村 Sillery の “Sille”と、エリザベス朝頃の俗語で泡立った飲み物(bubbly drink)を意味する “bub”からつけられたと言われるだけあり、生クリームと白ワイン、お砂糖を泡立てて作るふわっとしたデザートです。

白ワインとレモンの香る大人のデザートシラバブ☆

白ワインとレモンの香る大人のデザートシラバブ☆

現代のシラバブは、レモンの皮で風味をつけた白ワインを用いることが多く、大抵スプーンですくって食べる固さのことがほとんどですが、昔のそれは、先ほどbub=泡立った飲み物を意味する、といったとおり、飲み物のような固さ(ゆるさ?)でした。この辺りで、ん?なにか最近似たような話しを聞いたような、、、と思われた方もいらっしゃるでしょう。そう、シラバブが登場したのは16世紀、前回ご紹介したポセットと一緒。そして、ポセットも当時はミルクとアルコールから作る飲むデザートだったはず、、と。ではその当時の両者、どう違うのかというと~ポセットは温めたミルクをアルコールで分離させ、温かい状態で飲むことも多かったのに対し、シラバブは熱を加えないミルクとアルコールを泡立て、寝かせることによって分離させて作る冷たい飲み物という点。1674年Hanna Wooley 著「The Queen–like Closet 」に記載されている~To make a very fine Sillabub と題されたそれは、1クォートのクリームと1.5パイントのワインまたはサック(酒精強化ワインの一種)とレモン汁、それに甘みを加えて泡立て、シラバブポットに入れて12時間静かに置いてからいただきましょう~というもの。そして18世紀に入ると、Whipped Syllabubと呼ばれるものが現れます。こちらは、泡立てた泡を丁寧に目の細かいざるの上に移して一晩水を切ったものをまず準備。甘みをつけたワインを背の高いシラバブグラスに満たし、その上にそっと先ほどの泡を浮かせるというなかなかエレガントなデザート。ただしそのエレガントな泡を作るのに、当時はカバノキの小枝を束ねたものを泡だて器として使用していたため、相当な労力が必要だったようです。当時の発明品の中には、「Syllabub pumping engine」なる、ふいごの先に沢山の穴の開いた管をつけたシラバブ用クリーム泡立器があったくらいですから。その後18世紀後半には、クリームに加えるワインの量が減り、現代のようなホイップしたクリームがボディーとなる食べるタイプがついに登場。これは泡が消えずに形を保つため、「Everlasting syllabub(エバーラスティングシラバブ)」と呼ばれ人気を博します。

現代のものはeverlasting syllabub またはsolid syllabub と言われたタイプ☆

現代のものはeverlasting syllabub またはsolid syllabub と言われたタイプ☆

シラバブと言えば、まことしやかに伝えられているのが、昔はお酒を入れたボールに、牛のお乳を直接シャーシャーと搾って作って泡立たせてて作っていた、というお話し。チャールズ2世(在位1660~1685)のお気に入りで、いつでもこのシラバブを作れるようにと St. James parkに牛を飼っていたと言うのですが、実際これを作ってみた人に言わせれば、ほんの少し泡は出来るけれど、すぐに消えてしまうし、残るのは牛からのちりや埃も入ったような、とても飲めるものじゃないひどい代物だそう。牧歌的で、でもある意味とても贅沢なシラバブ作りの光景をずっと想像していた私はちょっとショック。 Hanna Glasse 著の「The art of cookery made plain and easy」(1747)はじめいくつかの本に載っているこの牛から直接お乳を搾ってシラバブを作る方法。牛がいないなら、搾乳するとき程度の温度のフレッシュな牛乳をティーポットに入れてできるだけ上から注げばいいよ、なんてことまで書いてあるので、すっかり信じていましたが、今は「う~ん」半信半疑。いつか牧場に行って実験できる機会がくるまでそれはきっと謎のまま、、、むしろ事実を知るより、美しい空想のままにとどめておくほうがいいのかもしれません(笑)ワインとレモンの香りがふんわりただよう現代のシラバブのほうが間違いなく美味しいにちがいありませんし。

 

 

第92話 Blancmange ~ブラマンジェ~

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<Blancmange ブラマンジェ>

「ブラマンジェ」といえば、日本でもよく目にする、あのアーモンドの香りのぷるんと固まった冷たいデザート。上手に作られたそれは上品で美味しいものですが、イギリス人の中には「ブラマンジェ」に対して、日本人とはちょっと違った印象を抱いている人も多くいます。特にある程度以上の年代の人たちにとってなのですが、ブラマンジェ=あまり食料が豊かではない時代を象徴する食べ物。1950年代、スクールディナー(給食)のデザートによく登場したというそれは、コーンスターチと色粉で出来たインスタントのブラマンジェミックスで作る、重く、味のない代物。とにかくマイナスイメージが強いらしく、今でもあれだけは食べたくない~と言う人が多い食べ物のひとつです。もちろん今の時代はそんなブラマンジェに出会うことはあまりないかもしれませんが、今日はブラマンジェの汚名返上のためにも、イギリスにおけるブラマンジェの生い立ちを少々ご紹介したいと思います。

イギリス風ブラマンジェはピンクでも黄色でもブラマンジェ☆

イギリス風ブラマンジェはピンクでも黄色でもブラマンジェ☆

「Blancmange(ブラマンジェ)」とは「白い食べ物」という意味のフランス語だということは広く知られていますが、中世の時代からフランスだけでなくその他ヨーロッパ各地の料理本や文献に度々登場していることから、ヨーロッパ中でポピュラーな食べ物だったということが分かっています。イギリスでもチョーサーのカンタベリー物語(1475)の一節に登場するくらいですから、かなりメジャーなものだったよう。ただし、当時のそれはお米やアーモンド、時にはサフランなどのスパイスやローズやオレンジウォーターまで使うことから、かなり高級な類の食べ物でした。そして、もうひとつ驚きの材料が、、、それはなんと鶏肉。「The Forme of Cury」The master cooks of King Richard Ⅱ(1390 )に登場するBlank maunger の作り方を見てみると~まずは鶏肉をストックの中で茹でて細かく裂いておきます。アーモンドにローズウォーターを加えてすりつぶし、先ほど使用したストックを足して火にかけたら、そこに洗ったお米と牛乳を加え柔らかくなるまでぐつぐつ。先ほどの鶏肉を戻して全体をつぶし、塩とお砂糖で味を整えるというもの。う~ん、なんとも味の想像がし難い料理ですが、それにアニスシードのコンフィやアーモンド、お花やざくろなどを飾りつけたものは当時のご馳走だったのだとか。時には鶏肉の代わりにお魚を使ったり、レントの時期にはお肉類は抜け、牛乳の代わりにアーモンドミルクを使用し、動物性タンパクを摂らないレント用にも。でも考えてみれば、メインコースとデザートの区別がなかったその昔、当時のミンスパイ然り、甘く味付けされたお肉入りの料理がよくあったように、ブラマンジェにお肉が入っていたのはごく自然なことだったのでしょう。また、鶏肉やお米、牛乳などを煮込んだブラマンジェは栄養と消化に優れ、病人食としてもよく用いられていたことから、Blancmange(ブラマンジェ)を「白い食べ物」とは解さず、「シンプルでプレーンな食べ物」という意味だったのではないかと言うフードヒストリアンもいます。

コーンフラワーメーカーのブラマンジェ型はレシピ入り☆

コーンフラワーメーカーのブラマンジェ型はレシピ入り☆

さて、このブラマンジェ、18世紀に入ると、レシピから鶏肉が抜け、お米や米粉に代わり、雄鹿の角やアイシングラス(魚の浮き袋から作るゼラチン)が保形剤として加えられるようになります。その結果、おかゆのような姿だったブラマンジェはさまざまな形の型に入れて固められ、より現代風になっていきます。この頃までは高貴な食卓に上っていたブラマンジェ、決して今のような悪評を得るはずもなく、、風向きがおかしくなったのは19世紀に入ってからのこと。コーンフラワーやアロールート(くず粉)といった、より簡単に、より安価に固めることが出来る新素材の登場が要因となります。ちょうどその変換期にあったビートン婦人の時代、彼女の 「Household management」(1861)には、丁寧バージョンと、お手軽バージョンの両方がのっています。きちんと手間暇かけてアーモンドを挽き、ミルクに浸して味や香りを抽出し、アイシングラスで固める基本のブラマンジェ。ゼラチンで固める卵黄入りLemon Blancmange、その名も Cheep Blancmange と題した安価版ブラマンジェはアイシングラスで固めるものの、アーモンドは入らず、レモンとローレルで香り付けして作るもの。他のお手軽&チープバージョンとして、米粉で固める Rice Blancmange、アロールートで固める Arrowroot Blancmange などなど。そして、コーンフラワー(コーンスターチ)メーカーなどが安価でお手軽なブラマンジェミックスを発売するやいなや、たちまちブラマンジェは高級な大人のデザートから、子供たちのおやつへと姿を変えたのでした。

ブラマンジェミックスは懐かしの味?

ブラマンジェミックスは懐かしの味?

時は流れ、美味しいお菓子が溢れんばかりの今の世の中、ほぼ牛乳の味しかしないブラマンジェミックスはどんどん姿を消していきましたが、考えてみればBird’sのカスタードが好きなイギリス国民、あれとそう違いのない味のブランマンジェミックスを皆がみな嫌いなはずもなく、今もなおスーパーの棚にはPearce Duff のブラマンジェミックスは鎮座しています。今でも年間700,000箱は売れているということですから、昨今のグルメブームから一周まわってシンプル回帰、そのうちまた「イギリス風ブラマンジェ」として人気が再燃する日がやって来るかも??

 

 

第93話 Flummery/Junket ~フラマリー/ジャンケット~

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<flummery / junket  フラマリー/ ジャンケット>

ここのところ、トラディッショナルなコールドプディングを続けてご紹介してきましたので、出来ればそろそろ粉ものに戻りたいところなのですが、もうちょっとだけ、、、。
ポセットのように生クリームをレモンなどの酸で固めるもの、シラバブのようにワインなどのアルコールの力や泡立てて空気を入れることによって濃度をつけるもの、そして古くはアイシングラス(魚の浮き袋から採るゼラチン成分)などのゼラチンで固められていたブラマンジェなどなどいろいろありましたが、これらは乳製品(時にはアーモンドミルク)になんらかの増粘剤となるものを加えて濃度をつけデザートとしたもの。どれもみなもともとは、中世以前から食べられてきた穀物に水分を加えて煮込んだポタージュにルーツがあると考えられています。イギリスには中世以降、お米やサゴ、タピオカやアロールート(くず)、コーンフラワー(コーンスターチ)などなど液体に濃度をつけることが出来るいろいろな食品が入ってきますが、やはりそれらが入ってくる前、とろみづけに役立っていたのはなんと言っても麦。麦は麦でも一度パンやビスケットにしたものを砕いて入れて濃度をつけることもありましたが、一番もとの穀物のポタージュに近いと思われるデザートがこれからご紹介する「flummery (フラマリー)」です。flummery1
これはオーツを水に12時間ほど漬けて、水を取り替え、またしばし置いてから漉したものを煮詰めて冷やし固めたもの。牛乳やはちみつ、時には白ワインやビールなどと合わせて食べていたらしいのですが、固める前は重湯というか、オーツを使った薄いポリッジ(おかゆ)のようなもの。その姿から別名wash-brew とも呼ばれていましたが、地方によってその呼び名は他にも様々あって、ウエールズ地方ではllymru、Cheshire や Lancashire ではFlamerie あるいは Flumerie、スコットランドではsowens (こちらは液体を軽く発酵させてから作ります)などなど。さて、この麦のとぎ汁すらも無駄にしない質素なフラマリーとは別に、富裕層間で食べられていたもっとリッチバージョンのフラマリーもあります。こちらは、液体を固めるのはオーツではなくゼラチン質。 leach と呼ばれる古いデザート(アーモンドミルクと牛の脚を煮出した液体を固めたもの)から変化したと言われているのですが、オレンジフラワーウォーターなどで香りをつけた牛乳や生クリームにお砂糖やワインを加えてisinglass(魚の浮き袋から作るぜラチン)またはhartshorn(牡鹿の角を削ったもの)で固めるいわばミルクゼリーのようなもの。確かに見た目は両方白いゼリー状で名前も一緒ですが、なんという違い。Hannah Glasseの「The art of cookery made plain and easy」(1747)にはフラマリーの作り方として、このHartshorn flummery が2種とOatmeal flummery1種の計3つのフラマリーが記載されています。

20世紀に入るとフラマリーの定義は曖昧になり、ブラマンジェなどをフラマリーと呼ぶことも☆

20世紀に入るとフラマリーの定義は曖昧になり、ブラマンジェなどをフラマリーと呼ぶことも☆

それにしても昔のゼリー類作りは考えただけでも本当に大変。まずは固める素を作らなくてはならないのですから。魚や牛、豚の骨や皮を煮込んだり、牡鹿の角や象牙を削って粉にしたものを煮出して使ったり。しかも苦労して採ったこれらお魚やお肉風味の液体にお砂糖を加えたそれは一体美味しかったのかはなはだ疑問。実際、王侯貴族の晩餐を彩るデザートしてのゼリー類は、カラフルな色と驚くほどさまざまな型に入れて固められ、味よりは見た目が重視、そして、それで良かったようです。「ゼラチンパウダーを小さじ1杯2杯入れて~」で済んでしまう今の世の中と違い、プルンと固まったカラフルなデザートを出すことは、これだけの手間をかける人力と財力があるのだと見せつけることができたり、あるいはこれだけ手間を掛けましたというおもてなしの気持ちを示すための大事な一要素だったようですから。

イギリスではレンネットも大きめのスーパーなら普通に売っています☆

イギリスではレンネットも大きめのスーパーなら普通に売っています☆

そうそう、もうひとつ、でん粉でも、ゼラチンでもないもので固めるミルクプディングがありました。「junket (ジャンケット)」です。こちらは15世紀にはもう食べられていたと言うデザートで牛乳をレンネットで凝固させたもの。そう、あのチーズを作るときに使うレンネットです。イギリス中で食べられていたようですが、特に有名なのは乳製品の産地でもあるデヴォンシャーのDevonshire junket 。人肌に温めた牛乳にラムやブランデーで香りをつけ、レンネットで固めたもの。ナツメグと、デヴォン名物のクロテッドクリームをのせて食べるのが伝統的な食べ方だとか。一時はかなり人気があったようですが、レンネットもどこでも手に入るというものではないうえに、ジャンケットは作るのに少々時間がかかるため、もっとお手軽に作れるシラバブが登場してからは人気が急速に衰えてしまったようです。しかも後々、このジャンケットもブラマンジェ同様、インスタントのジャンケットタブレットやパウダーが登場したがために、簡単に安く作れて、美味しくない~という例の「まずいnursery pudding(子供向けプディング)」の代名詞に。本来のジャンケットはなかなか不思議な食べ物。レンネットと牛乳を混ぜたら、動かさずに室温においておくと自然と固まるのですが、スプーンを入れた瞬間、カードとホエイに分離し、あまり美しくない姿に~。あまり移動しなくて済むように、混ぜるときからもう、サーブするテーブルの上で作るといいかもと思うくらいです。まったくイギリスには随分といろいろなデザートやらお菓子があるものです。おかげでこのおかし百科も、いつになったら終われるのやら~(笑)どうぞ飽きずにもう少々お付き合いくださいませ☆

 


 

第94話 Burnt cream ~バーントクリーム~

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<Burnt cream バーントクリーム>

「Burnt cream(バーントクリーム)」~なに?やけどか何かに塗るクリームのこと? なんて思わず思ってしまいそうな名前ですが、これをフランス風に言い代えると、実は皆さんよくご存知のデザート、「crème brulee (クレームブリュレ)」。なるほどどちらも訳せば「焦がしたクリーム」で同じ意味なのですが、フランス語にした途端に一気におしゃれな響きになるのですから、不思議なもの。そしフランス語のほうが格好いいと感じるのは日本もイギリスもご同様。1800年代後半からイギリスでもフランス風に「クレームブリュレ」と呼ぶのが主流です。ですが最近「これってもともとはフランスよりイギリスのほうが古くから食べているデザートらしいわよ」、ということが知れわたり、イギリスのスーパーなどでもクレームブリュレではなく「Burnt cream(バーントクリーム)」、「Cambridge burnt cream(ケンブリッジバーントクリーム)」などと称して売り出すところがでてきています。

キャラメルの苦味と香ばしさがシンプルなカスタードを一気にクラスアップしてくれます☆

キャラメルの苦味と香ばしさがシンプルなカスタードを一気にクラスアップしてくれます☆

ところで、バーントクリームはいいとして、何故突然ケンブリッジが出てくるのかと言うと~ここが今日の大切なとことろ。イギリス版クレームブリュレのバーントクリームはあの有名大学、ケンブリッジのトリニティーカレッジが発祥だといわれているからなのです。そのため「Trinity burnt cream(トリニティーバーントクリーム)」、簡単に「Trinity cream(トリニティークリーム)」と呼ばれることも。確かに料理書に初めて登場するのはフランスの François Massialot 著「Le cuisinier royal et bourgeois」(1691)なのではありますが、ケンブリッジ大学のトリニティーカレッジでは1617年にすでにサーブされていたのだとか。とは言え、正確な文書による証拠はないため、「言い伝え」というかたちではあります。フランスはフランスで、これはわが国発祥のトラディッショナルなデザートだと主張していますが、1731年にMassialot の料理書が再版された際には、Crème brulee Crème Anglaise (イギリスのクリーム)と名前が代えられていたこともあり、もともとはやはりイギリス発祥だったのでは?とわたしもついついイギリス側に肩入れしたくなってしまいます(笑)。まぁいずれカスタードに砂糖をかけて焦がすというシンプルなお菓子でありますから、これ以外にもスペインのCrema Catalana はじめ似たようなお菓子は世界各国にあるわけで、どこが発祥かはきっとこれからも謎のまま、、。ちなみにケンブリッジのトリニティーカレッジでは今も時折デザートにバーントクリームが登場するのだとか。本家本元のそのお味、一度食べてみたいものです。イギリスの古い料理書のバーントクリームのレシピをみていると、今の時代のクレームブリュレに欠かせないバニラは入っておらず、代わりにレモンピールやオレンジフラワーウォーター、時にはシナモンやナツメグが香り付けに使われています。ちょっと意外な感じもしますが、それもなんだか美味しそう。現代のトリニティーカレッジのものはバニラかしら、それともナツメグやレモンだったりするのでしょうか。

キャラメルの殻を割る瞬間を昔の人もきっと楽しんだことでしょう☆

キャラメルの殻を割る瞬間を昔の人もきっと楽しんだことでしょう☆

今日は今どきの一般的なCambridge burnt cream のレシピをご紹介しますが、たまにはバニラの代わりに昔風にオレンジフラワーウォーターなどで香りづけしてみるのも楽しいかもしれませんね☆

<ケンブリッジバーントクリーム>

① 生クリーム(乳脂肪40%台)、150mlの牛乳250ml、バニラビーンズ少々を鍋に入れゆっくり温めます。
② 卵黄3つとグラニュー糖40gをよくすり混ぜ、先ほどの①を加えて混ぜ合わせます。
③ これを小さな6つの耐熱の器に注ぎ、お湯を張ったバットに並べて150℃のオーブンで焼くこと約35~40分。ようやく固まる程度に焼けたら冷蔵庫でしっかり冷やします。
④ 食べる直前、表面にたっぷりのグラニュー糖をかけ、バーナーでお砂糖をキャラメル色になるまで焦がしたら完成です☆

第95話 Custard ~カスタード~

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<Custard カスタード>

甘いものを語るとき、「カスタード」「プディング」この言葉ほどイギリス人と日本人の間にギャップがあるものはないかもしれません。日本で「カスタード」と言ったらそれは、シュークリームなどに詰める濃度のしっかりついたカスタードクリームで、「プディング」といったら、いわゆるキャラメルのかかった「プリン」を想像する人が多いでしょう。どちらもいわばひとつのものを指す単語なわけですが、イギリスで言うところの「カスタード」と「プディング」はいわば「ジャンル」をさす言葉であり、多くのものを包括する単語になります。例えば「プディング」と言ったら、それは「デザート」全般を指すこともあるし、お肉を使ったソーセージなどを指す事もあるのです。そして今日のお題の「カスタード」、これは卵と牛乳を混ぜて加熱して作るもの全般に使われえる言葉。ですから甘いものだけとも限りません、キッシュのフィリングとなるアパレイユもカスタードと言えるし、ブレッド&バタープディング(パンプディング)を作るのにパンを浸す液もカスタード。ちなみにいわゆる「プリン」はちょっとフランス風に「crème caramel(クレームキャラメル)」。こちらは日本同様お皿にひっくり返してキャラメルソースが上になった状態でいただきます。そしてココットなど耐熱の器に卵液を流して焼くだけで、キャラメルなしのものは「Baked custard(ベイクドカスタード)」、そこにお砂糖をふりかけて焦げ目を付けるクレームブリュレ的なタイプが 「Burnt cream(バーントクリーム)」またはそのまま「クレームブリュレ」と呼ばれます(それぞれ牛乳や生クリーム、卵などの割合に違いはありますけれど)。

いわゆるプリンもありますが、こちの呼び名はcrème caramel(クレームキャラメル)☆

いわゆるプリンもありますが、こちの呼び名はcrème caramel(クレームキャラメル)☆

では日本で言うところのシュー生地に詰めるカスタードクリームは~というと、こちらもフランス風に crème patissiere または略して crème pat なんて言ったりします。とにかくこんな感じでややこしいのですが、イギリスで一般に「カスタード」と聞いて、真っ先にみんなが脳裏に浮かべるのは、もっと濃度の少ないソース状の、日本で言うクレームアングレーズ(アングレーズソース)。しかも赤と青と黄色のパッケージに入ったインスタントのカスタードパウダーで作ったもの。それこそが大多数のイギリス人にとっての「カスタード」のイメージ。きちんと手作りされたバニラビーンズの浮かぶカスタードソースは「proper custard (きちんとしたカスタード)」または「homemade custard(手作りのカスタード)」と言って区別したりします。そしてこのカスタードの食べ方がまた日本とイギリスで異なる点。インスタント、手作り問わず、このカスタードを温かい状態で様々なケーキやプディング(デザート)にこれでもかとたっぷりかけていただくのです。そのかける量たるや、初めて見た人はきっと目を丸くするに違いありません。主役のお菓子がまったく見えなくなるほどにかけるのですから。

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黄色いカスタードに埋もれたプディング、かけすぎじゃない?いえいえこれくらいがいいんです(笑)

このインスタントカスタードパウダーが発明されたのは今から約180年も前の1837年のこと。薬剤師でもあったAlfred Bird氏、カスタードが大好きなのに、卵アレルギーで食べることの出来ない奥様Elizabethさんのためになんとかそれらしいものが出来ないかとこのカスタードパウダーを作り上げます。本来奥様のためだけに作ったカスタードパウダーでしたが、たまたまいたお客さんに食べさせたところ、意外や好反応。早速会社を立ち上げ商品として売り出し、Alfred Bird and Sons Ltd. のカスタードパウダーは 瞬く間にイギリス中で大人気となったのでした。実際、メイン原材料はコーンスターチのみで、あとはちょっぴりの香料、アナトー色素というこのパウダー、卵は当然入っていないため、正確にはカスタードとは呼べないものなのですが、牛乳とお砂糖を入れて加熱して出来上がるそれは、見た目はカスタードそっくり。お味はシンプルなミルク味ですが、イギリス流にプディングやパイにかけて食べるには逆にあっさりしていて、慣れるとこれはこれで悪くないものです。コーンスターチ入りなので冷えれば固めになり、トライフルにも使えるし、カスタードカップという手つきの小さなグラスに入れてそれだけで食べることも珍しくはなかったよう。その後、イーストアレルギーでもあった奥様のためにベイキングパウダーも開発したアルフレッド氏、これまた簡単にパンやお菓子が作れると大人気。このベイキングパウダーはじめ、ブラマンジェパウダーやゼリーパウダーなども次々に売り出し、イギリス中の奥様のデザート作りの手間を大幅に軽減したのでした。それからイギリス中が食糧難に喘いだ戦中戦後を経て、General Food CorporationやKraft Foods、Premier Foods など会社の持ち主は変わりつつも、今も変わらず作り続けられているBird’sのカスタードパウダー。たとえ卵で出来た本物のカスタード(アングレーズソース)を作ることが出来ても、これはこれで時折食べたくなるコンフォートフードとして、今もイギリス人の胃と心をホッと和ませています。

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小さなカスタードカップに入れられたカスタード☆ なんとも優しい見た目と味☆この上なくシンプルです、、、

そうそう、ついついカスタードパウダーの話しに夢中になり最後になってしまいましたが 「Custard(カスタード)」の語源についてもお話ししておきましょう。カスタードの語源はフランス語でペストリー(パイやタルト生地)を意味する croustade 。牛乳などの液体に卵を加えて加熱することにより濃度をつけるという調理法は少なくともローマ時代から始まっていたそうですが、今のように火力調節自在のガスコンロやI Hなんて便利なもののないその時代。直火で調理するにはカスタード作りは火力が強すぎて至難の業。そこでカスタードタルトやキッシュのようにペストリー生地(croustade)の中に流して焼くのが基本だったため、この名で呼ばれていたのだとか。食べるためというよりはもとは食品を調理するための調理器具として、あるいは器としての役割がメインだったいうペストリー生地、その後外側のペストリーは使わず中身のカスタードだけ作れるようになっても、名前はそのまま croustade →custard(カスタード)と呼ばれているというわけです。

イギリスのティールームでプディングやパイを頼むと、「(脇に添えるのは)クリームにする、カスタード?それともアイスクリーム?」という質問をよくされますが、寒い冬なら迷わず「カスタード」を選んでみてください。大きなスプーンで温かいカスタードに沈むプディングを食べるとき、シンプルながらも実は奥深いイギリススイーツの深遠を感じることでしょう~☆

 

 

 


第96話 Cabinet pudding ~キャビネットプディング~

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<Cabinet pudding キャビネットプディング >

「Cabinet pudding(内閣のプディング)」「Chancellor’s pudding(大臣のプディング)」「Diplomatic pudding(外交官のプディング)」 これらはどれも同じプディングの呼び名。なぜかどれも政治に関係する名前がつけられていますが、特に政府関係の行事の場で供されるものでも、政治家が発案したお菓子という訳でもありません。実際のところどうしてこのような名になったのか確かなことは分かっていない、というのをまずは最初に白状しておいて、今日のキャビネットプディングの説明に入らせていただこうと思います(^^)。cabinet pud 1

キャビネットプディング、聞きなれない名前=今はお目にかからなくなってしまったお菓子ということですが、このプディングがたいそう人気があったのは19世紀ヴィクトリア時代。かれこれ150年以上も前のお菓子と聞くと、また不思議なものがでてくるのではないかと危ぶまれてしまいそうですが、今日のお菓子に関しては今食べてみてもそれほど違和感はないかもしれません。材料は、スポンジケーキとラタフィアビスケット(アーモンドビスケット)、卵に牛乳(または生クリーム)、お砂糖、そしてドレンチェリーやサルタナなどのフルーツ類。安心の、どう混ぜても不味くはならなそうなラインナップ。勘のよい方ならご想像されたかもしれませんが、どちらかというとイギリスプディングのお得意分野、残り物の有効利用的なプディング。以前残り物のパンを利用したブレッドプディングをご紹介しましたが、そのお仲間です。パンの代わりに砕いたケーキやビスケットを型に入れ、上から卵と牛乳、お砂糖を混ぜたカスタード液を流して蒸すというもの。ちょっとリッチなパンプディングスチーム版といったところでしょうか。ですが、立派な名前を持っているように、作るときの型や材料の選び方次第で、ヴィクトリア時代のディナーをゴージャスに〆てくれる、そんなプディングでした。

カットしたスポンジに前もってブランデーをたっぷり含ませることもあります☆

カットしたスポンジに前もってブランデーをたっぷり含ませることもあります☆

では当時を代表する料理書 「Modern Cookery for private families(1845)」を見てみましょう。レシピはふたつ。「A CABINET PUDDING」そして「A VERY FINE CABINET PUDDING」~ノーマルバージョンと、スペシャルバージョンということですね。まずはノーマルバージョンから~プディングベイスンにバターをたっぷり塗り、ドライチェリーとレーズンを貼り付けておきます。スライスしたスポンジ、砕いたラタフィアビスケットとマカルーンをその型に詰め、カスタードを注いで1時間ほど蒸しましょう~というもの。カスタードは卵に牛乳、クリームとお砂糖を混ぜたもの。一方スベシャルバージョンはそのカスタードが大幅にグレードアップしています。卵黄とお砂糖が増えて卵白が減り、牛乳がクリームへ代わり、かつワイングラスいっぱいのブランデーがプラスされます。その上レモンの皮やバニラで香り付けもするというなんとも美味しそうなカスタード液。これをスポンジケーキとビスケットの上に注いで蒸すのですから、美味しくないはずがない。温かいうちにワインソースを添えて供しましょうというこの「ベリーファイン・キャビネットプディング」、いつしか消えてしまったのはそのドレンチェリーなどがのったクラシカルな見た目のせいか、家庭へのオープンの普及により蒸すケーキより焼くケーキのほうが好まれるようになったせいか、いずれにせよ、イギリスのテーブルから姿を消していった古きよき時代のトラディッショナルプディングです。s%e5%9b%b33
このキャビネットプディングが初めて文献に登場したのはWilliam Kitchiner 著の「The Cooks Oracle(1821)」。ここではスポンジの代わりにパンにバターを塗ったものが使用されています。こうなるとこれはまるでブレッド&バタープディングのスチーム版。実はこのキャビネットプディング、ここまでご紹介してきた蒸すタイプ以外にも、時代や場所によって、さまざまなバリエーションが存在します。茹でるものから冷やして作るもの、果てはアイスクリームを使うものまで。名前も前述の政治関連の名前のほかにも「Newcastle pudding」「Ratafia pudding」 なんて呼ばれることもあります。でもその中でも、ヴィクトリア時代「キャビネットプディング」として人気を馳せたのが今日ご紹介した、砂糖漬けのフルーツをまわりに散りばめてあるスチームタイプのもの。ヴィンテージティールームや懐かし系プディングのリバイバルが目覚ましい昨今のイギリス、おひとり様用におしゃれに仕立てられたキャビネットプディングももうどこかのメニューに載っているかもしれませんね。

 

第97話 Gingerbread ~ジンジャーブレッド~

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<Gingerbread ジンジャーブレッド>

ジンジャーブレッドだけで1冊の本が書けるといわれるほど恐ろしく種類の多いイギリスのジンジャーブレッド。柔らかいスポンジ状のものから、固いビスケットのようなものまで、その形状はさまざま。ですが、しょうがの香りの効いた温かみのある味わいはどれも共通、温かいミルクティーとの相性も最高です。もともとアジア原産と言われているしょうが。古代ギリシャやローマでも古くから薬として珍重されており、スパイス貿易でも重要な位置を占めてきたこのジンジャーがヨーロッパ中に一気に広がったのは十字軍遠征後のこと。やはり最初は消化を助けたり、炎症を抑えたりと、その薬効を期待しての使用が主でしたが、次第に調理やお菓子作りにも頻繁に使われるようになります。記録に残っている最も古いケーキのひとつもジンジャーブレッドと言われています。これは温めた蜂蜜にこしょうやシナモンなどのスパイスを加え、そこにパン粉を加えてひとかたまりにしたものを冷まし、カットするというもの。当時としては高価なものの塊のようなそれは、つげの葉やクローブなどで飾られ贈り物にもされたそう。時には木の型で人や動物を模ったり、サフランなどでの色づけや金箔を貼ることもあったとか。今のジンジャーブレッドとは大分様相は異なりますが、とにかく14世紀にはジンジャーブレッドがすでに存在していたわけです。その後需要が高まると、ジャマイカやハイチなど西インド諸島に植物としてのしょうが持ち込まれ栽培が始まります。そうしてジンジャーは高価ながらも、お祭りや特別な日には何とか庶民にも手の届く範囲のスパイスとなり、祝祭日やフェア(お祭り)と結びつき、ある地方ではオーツや小麦粉を加え、ある地方ではトリークルやドライフルーツを加えてと、それぞれに特徴のあるジンジャーブレッドが各地で生まれていきます。

トリークルたっぷりのしっとり美味しいケーキタイプのジンジャーブレッド☆

トリークルたっぷりのしっとり美味しいケーキタイプのジンジャーブレッド☆

さてこれまでも、ヨークシャーのパーキン、スコットランドのパーリー、コーンウォールのコーニッシュフェアリング、湖水地方のグラスミアジンジャーブレッドなどなどをこのおかし百科でもとり上げてきましたが、これらは全て地方のもの。全国区でジンジャーブレッドと言って多くの人が頭に浮かべるのはふたつ。ブラックトリークルをたっぷり使うしっとりスポンジケーキタイプのジンジャーブレッドと日本でもおなじみ男の子の形をしたビスケットタイプの「ジンジャーブレッドマン」。前者のケーキタイプのジンジャーブレッドが登場したのは16世紀以降。卵やバターが手に入るようになり、パン粉が小麦粉に、蜂蜜がトリークル(糖蜜)にとって代わり、軽いジンジャーブレッドが生まれます。軽いと言っても、トリークルたっぷりのしっとりどっしりしたそれは今の私たちからすれば、なかなか重量感のある、こっくりとした味わい。「Moist treacle gingerbread」とも呼ばれるこのジンジャーブレッドは焼きたてより、数日置いたほうが味が馴染み、美味しさUP。昔ながらのティールームに行くと、アイシングとシロップ漬けのジンジャーで飾られた真っ黒なそのケーキがよく置いてあります。

粉末、クリスタライズド、シロップ漬けとジンジャーはお菓子作りには欠かせません☆

粉末、クリスタライズド、シロップ漬けとジンジャーはお菓子作りには欠かせません☆

もう一方のジンジャーブレッドマン、こちらの誕生には諸説あるものの、よく聞くのは16世紀後半、エリザベス1世が要人をもてなすのに、その人の姿に似せたジンジャーブレッドを作らせプレゼントしていた、のが始まりというもの。なかなか女性らしい洒落の利いたおもてなしですよね。とは言え、きっとひげの生えた偉そうなおじさま型であったであろうそのジンジャーブレッドが今の可愛らしい男の子の姿になったのはいつのことか。。。ちょっと話しは飛びますが、同じくジンジャーブレッドで有名なドイツでヘキセンハウス(ジンジャーブレッドハウス)が一気に広まったのはグリム兄弟が「ヘンゼルとグレーテル」を出版した1812年以降のことだとか。ヘキセンハウスしかり、もっと以前から存在はしていたでしょうが、男の子型のジンジャーブレッドのメジャーデビューのきっかけを作ったのは、1875年St. Nicolas Magazine社がジンジャーブレッドの男の子が主役の物語、「The Gingerbread man(The Gingerbread Boy)」を出版したのがきっかけだっただろうと言われています。
~ある日お腹を空かせたおじいさんとおばあさん、ティータイムにしようと、男の子型のジンジャーブレッドを焼き始めます。ところがオーブンを開けた途端、ジンジャーブレッドはお外にすたこらさっさ逃げてしまいます。’Run, run as fast as you can. You can’t catch me, I’m the gingerbread man’ と笑いながら、豚や牛などの動物に追いかけられながらも逃げまわるジンジャーブレッド君。その行く手には川が、、、さぁどうする~というお話し。

フェスティブムードを盛り上げてくれるジンジャーブレッド君☆

フェスティブムードを盛り上げてくれるジンジャーブレッド君☆

ブラウンシュガーとトリークルの入ったジンジャーブレッドマン。イギリスでは1年中食べられていますが、特に人気なのはクリスマスシーズン。フェスティブムードを盛り上げるスパイスの香りと、ツリーのオーナメントにしても可愛らしいその姿は子供たちの人気者。悪賢いきつねではなく、可愛い子供たちのお口の中パクリ☆今日も飲み込まれていきます(^^)

第98話 Grantham gingerbread~グランサムジンジャーブレッド~

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<Grantham gingerbread グランサムジンジャーブレッド >

前回はイギリスの代表的なジンジャーブレッド、2タイプをご紹介しましたが、ジンジャーブレッドlove なわたくしとしましては、まだまだご紹介したりない~ということで、今日もまた他にも沢山ある地方の美味しいジンジャーブレッドのお話しと相成ります。
まずはLincolnshire はGrantham という町の名物「Grantham gingerbread(グランサムジンジャーブレッド)」から。

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Grantham と言えば、かのマーガレットサッチャー女史の生まれ故郷であり、アイザックニュートンが King’s Schoolに通ったことで有名な町。もしかしたら、そのサッチャーさんも食べていたかもしれないのが本日登場の「グランサムジンジャーブレッド」です。その齢はおよそ250歳、ぎりぎりニュートンさんは食べることはできませんでしたが、相当古株のジンジャーブレッドであることは間違いありません。その歴史を遡ると~ Grantham からそう遠くないNewarkに Mr. John Eggleston が営む人気のベイカリーがありました。そして彼の長男Williamが兵役から戻りGranthamに、新たなベイカリーを構えたのが1740年。当時Granthamはロンドンからエジンバラへと通じるGreat North Roadの要所。馬車が主要な移動手段だったこの頃は、ここにあるThe George Hotelで馬を代えていたのですが、乗客たちはそこで「Grantham Whetstones」と呼ばれる平たい固焼きのビスケットを買うのが常でした。そんなある日ウイリアムがこのビスケットを作る際、材料をひとつ入れ間違ってしまいます。その日オーブンから出てきたそれは~いつもの固い平たいビスケットと違い、軽く持ち上がり、中は空洞でキャラメルのような風味のするとても美味しいものでした。このビスケットはそのあまりの美味しさに瞬く間に評判となり、旅人たちの間で「グランサムジンジャーブレッド」として知られるようになったのだとか。この間違いから生まれた~というのはお菓子の誕生物語としてはよくある話でどうもあまり定かではないようですが、ウイリアム氏が生みの親というのは間違いないよう。その後もこのジンジャーブレッドは代々 Egglestonファミリーの営むベイカリーで焼き続けられます。

表面にヒビの入った白い焼き上がりが特徴的です☆

表面にヒビの入った白い焼き上がりが特徴的です☆

低温でじっくり焼かれるそれはトリークルの入ることの多い他のジンジャーブレッドとはまったく異なり、色白なのが特徴。そのため「Grantham white gingerbread」と呼ばれることも。たっぷり入るお砂糖のせいか、どこかカルメ焼きにも似た味わいで、実際とても軽く美味しいもの。1970年ごろまではGrantham内のベイカリーではどこもうちこそがオリジナルレシピとうたい、店頭に並んでいました。しかしいつしかスーパーマーケットの台頭にともない町の小さな商店たちは姿を消し、グランサムジンジャーブレッドを焼く店もなくなっていました。町の名物のジンジャーブレッドが消えて30年以上、、、しかし、捨てる神あれば拾う神あり。今から5年ほど前、こんな美味しいジンジャーブレッドを見捨てておくのは勿体ないと Alastair Hawken さんにより、Granthamの町でついにリバイバルを遂げました。今ではおしゃれなパッケージに入ったグランサムジンジャーブレッドを店頭でみつけることができるように~。

中が空洞に、カシャッと脆い食感に焼き上げます☆

中が空洞に、カシャッと脆い食感に焼き上げます☆

イギリスではその土地の名前を冠したケーキやビスケットがとても多くあります。お菓子だけではなく、チーズにしても、チェダー然り、スティルトンだって、ウエンズリーだって全部町の名前。なんてひねりのない名前が多いのだろうと以前は思っていました。が、考えてみれば自分たちの町の名前をつけると言うことは、それに誇りを持ち、それが地元のみなに広く愛されていると言うこと。そしてそれが有名になれば自分たちの村や町の名も同時にイギリス中に広がっていくのですから、うれしい限り。今頃になって、町の名の付いたお菓子が沢山あるイギリスって素敵だな、と思ってしまいます。お菓子だけを辿ってイギリス一週の旅、してみたいいものですね(^^)

 

 

 

 

第99話 Market Drayton gingerbread / Ashbourne gingerbread~マーケットドレイトンジンジャーブレッド/アッシュボーンジンジャーブレッド~

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<Market Drayton Gingerbread /Ashbourn gingerbread マーケットドレイトンジンジャーブレッド/アッシュボーンジンジャーブレッド >

まず今日ご紹介するのは「Market Drayton gingerbread (マーケットドレイトンジンジャーブレッド)」。Market Drayton とはイングランド西部、ウエールズに接するShropshireの小さなマーケットタウンの名前。ここのジンジャーブレッドはまず見た目から他所のものと全然違います。ケーキタイプかビスケットタイプかといえばビスケットタイプなのですが、細長い7本の棒がくっ付いた様な形。どうしてこの形になったのかは定かではありませんが、想像するに、その食べ方のせいかもしれません。というのも、別名 「Drayton’s dunking delight」とも呼ばれるこのジンジャーブレッドはあるものに浸して(dunking)食べる習慣があったのです。そのあるものとはポートワイン。ジンジャーブレッドを紅茶に浸すのはよくある食べ方ですが、お酒に浸して食べるとはちょっと珍しい。そうまるで、ビンサントに浸して食べるビスコッティ(カントゥッチ)みたいですね。これがその土地の農家の奥様たちの間で人気の食べ方だったと言うのだから、なんだかおしゃれです。ティーカップではなくグラスに浸すのなら細長いこの形が最適、きっとそんなことからこの形になったのかな~と。でももしかしたら逆もありえる?細いからこれに浸してみようかな~なんて。まぁそこは皆さんの想像にお任せするとして。。。

ポートに浸して食べるなかなか洒落たジンジャーブレッド☆

ポートに浸して食べるなかなか洒落たジンジャーブレッド☆

さて、このマーケットドレイトンのジンジャーブレッドが最初に文献に登場するのは1793年。麦芽製造人でもあったRoland Lateward という人物によって作られた、ということになっています。が、文献には残っていなくとも、恐らくもっと古くから存在していたであろうというのが大方の見方。19世紀にはすでに町の名物であったジンジャーブレッド、いくつものベイカリーが各々秘伝のレシピで作っていました。ですが、ここにも時代の波が押し寄せ、町にはただの一軒もジンジャーブレッドを製造するお店はなくなってしまいます。現在このマーケットドレイトンのジンジャーブレッドを作っているのはピークディストリクトを超えて、車で2時間ほどのところにあるBarnsleyの町にあるBillington’s。1817年にMr.ThomasによりMarket DraytonのChurch streetに創業されたこのお店は、その後、Thomasの甥の Mr.W.Harperへ、次はそのいとこのRichard Billingtonへと受け継がれていきます。そこからさらに持ち主は代わり、お店の場所も移動してしまいますが、マーケットドレイトンのジンジャーブレッドは当時のレシピそのままに、キッチンの機械までもそのままに昔の味が守られています。最初に、姿と食べ方が他のジンジャーブレッドと違いますよ~と書きましたが、作り方も独特。まず材料の特徴としてはラム酒が入る点。それ以外は粉に砂糖、少しの卵と他のジンジャーブレッドとそう変わりはないのですが、なんと、生地が完成してから2晩も寝かせなくてはならないのです。これを鉄製の手回しの絞り出し器に入れて搾り出すと、横一列に並んだ4本の星口金から生地がにゅ~っとでてきます。200年前から使われているその機械は今も健在。天板に搾り出した生地はオーブンへ。こんがりいい色に焼かれ、7本ずつにカットされて出来上がり。ぱきっと折れば、ポートだけでなく、紅茶に浸して食べるのにももちろん最適です。

Marketdrayton gingerbread2

 

ついでにもうひとつ、このMarket Drayton からそう遠くはないところに別のジンジャーブレッドで有名な町があります。Market Drayton からBurnsley への道すがらにあるその町はAshbourne というやはり小さなマーケットタウン。週に2度ほど市の立つマーケットプレイスは古い建物に囲まれ、往時の風情が楽しめます。このマーケットプレイスのすぐそばにあるのが白壁に真っ黒のティンバーの目だって古そうな一軒のお店。「Ashbourne Gingerbread shop」と呼ばれるここは1492年に建てられ、補修されながらも当時の姿を今に伝えてくれる建物。ナポレオン戦争の頃には宿屋として使われており、1805年以降は代々ベイカリーとして使われてきました。言い伝えによると、当時Ashbourneに留置かれていたフランス人の捕虜がベイカリーに故郷のジンジャーブレッドのレシピを教え、それが今のアッシュボーンのジンジャーブレッドとなったのだとか。色は薄めで厚みがあり、バターの香りがするどちらかというとショートブレッドに近いアッシュボーンのジンジャーブレッド。SpencersのOriginal Ashbourne gingerbread が有名でしたが、今そこは大手ベイカリーに持ち主が代わってしまい以前かけてあった可愛らしいジンジャーブレッドの看板も下ろされてしまいました。

アッシュボーンのジンジャーブレッドは消えないでほしいものです☆

アッシュボーンのジンジャーブレッドは消えないでほしいものです☆

カラフルで可愛らしいカップケーキやマカロンが大人気のイギリスで、茶色一色の地味なジンジャーブレッドが生き残っていくのはなかなか大変なようです。
頑張れジンジャーブレッド !!

第100話 Regional gingerbread~地方のジンジャーブレッド~

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<Regional gingerbread 地方のジンジャーブレッド>

おやおや気づくとイギリスおかし百科ももう100話め。随分ご紹介したお菓子の数も増えてきましたが、まだまだ存在するイギリスお菓子。思いつくままにピックアップしているため、あれ?まだこんなに有名なお菓子も抜けている、、、なんていう状況ですが~とりあえず今日はこれまで幾度となく登場してきたイギリス各地のジンジャーブレッド話しの〆として、せめて名前だけでも挙げておきたい、というものをセレクトしてみました。まずは北から参りましょう。

スコットランド本土から離れ、その北の海に浮かぶ70ほどの島で構成されるオークニー諸島。ここでは「Broonie」というジンジャーブレッドが有名です。こちらは前にご紹介したスコットランドのパーキンとは違い、ローフ形のしっとりモイストなケーキタイプのジンジャーブレッドで色は薄め。北部に行けば行くほどオーツを使用するお菓子は増えていくというセオリーどおり、これにもやはりオーツが入ります。特徴としてはたっぷり加えられるバターミルク。スライスしてバターを塗っていただくことも多いこのブルーニー、お茶の時間にはもちろんですが、これにミルクティーでもあれば軽い朝食としてもよさそう。もともとはケルトのお祭りの際に食べられていたというブルーニー、その名は北部の言葉で「thick bannock 分厚いバノック(バノック=平焼きのパンのようなもの)」を意味する bruniという単語に由来しているそう。

ブルーニーはジンジャーブレッドにしては色白のバターミルクとオーツ入りケーキ☆

ブルーニーはジンジャーブレッドにしては色白のバターミルクとオーツ入りケーキ☆

お次は「Fochabers Gingerbread」。Fochabersは人口2000人弱のスコットランド北東部の小さな町。この町の名を冠するジンジャーブレッドの特徴はたっぷり入るビールとドライフルーツ類。焼きあがってから乾燥しないように包んで数日置くと、ビールとドライフルーツがジンジャーと絶妙に馴染み、実に美味しいしっとりとしたケーキとなります。スコッチウイスキーで有名なスペイ川の東側に位置するこの町でどうしてこのビール入りジンジャーブレッドが生まれたのか定かではないのですが、その特徴あるジンジャーブレッドはイギリスジンジャーブレッド愛好家としては是非ご紹介したい一品。そう言えば、以前、オーツとビールが入るジンジャーブレッドとしてランカシャーの「Harcake( Soul-mass cake)」も登場しましたね。

ビールとドライフルーツ入りが珍しいfochabers gingerbread ☆

ビールとドライフルーツ入りが珍しいfochabers gingerbread ☆

「Kirriemuir gingerbread」。ピーターパンの作者 J.M.Barrie の生まれ故郷としても有名なこの町はスコットランド東部の町。こちらのキリミュアジンジャーブレッドはカランツ入りのしっとりケーキタイプ。もともとの生みの親はキリミュアのパン職人Walter Burnett氏。現在は彼のレシピを受け継いだBells社により製造販売されています。1975年にThe Kirriemuir Gingerbread company を吸収したBells社は立派なファクトリーを持つスコットランドのペイストリーメーカー、おかげでキリミュアジンジャーブレッドも袋入りのものがスーパーで気軽に手に入れることができます。
「Whitby gingerbread」。こちらも現在目にするのは老舗ベイカリーElizabeth Botham & Sons の袋入りのもの。Elizabeth Botham & Sons 社も創業は1865年とかなり古いのですが、ウイットビージンジャーブレッドの歴史はさらに古く、Whitby(ヨークシャー北東部の港町)に1700年代から伝わるというオリジナルはかなり独特なタイプのジンジャーブレッドです。Whitby block gingerbread とも呼ばれるそれは、昔は4lb(1lb=453g)の塊で焼かれ、その後4つのブロックにカットされていたとか。ケーキというよりは固いビスケットのようなブロックジンジャーブレッド、かつては同じくスコットランドの港町Dundeeはじめイギリス中で作られていました。それらの表面には木型でかたどる紋章や着飾った人物の装飾が施されていたり、非常に手の込んだものも多く、特にその村々のフェア(お祭り)の際には欠かせないものでした。しかしフェア自体の衰退とともにブロックジンジャーブレッドも次第に姿を消していったようです。当時の精巧な木製のジンジャーブレッドモールドはWhitby museumなどで見ることが出来ます。現在のBotham社のウイットビージンジャーブレッドはそこまで硬くはありませんが、やはりドライな食感、スライスして、バターかチーズを添えていただくのがおすすめだとか。

fochabers gingerbread はビールとフルーツ、ジンジャーの入り混じった香りが魅力☆

fochabers gingerbread はビールとフルーツ、ジンジャーの入り混じった香りが魅力☆

「Ormskirk Gingerbread」。Ormskirkはイングランド北西、リバプールから20km程北に位置するマーケットタウン。ここのジンジャーブレッドは色はやや薄め、直径6cm位の丸いビスケットタイプ。加えるスパイス類は作り手により微妙に違うようですが、ジンジャーはもちろんとして、ミックススパイスや、シトラスピールが入ることも。その歴史もやはり長く、1700年代には町の名物となっていました。味もさることながら、このオームスカークジンジャーブレッドの一番の特徴はなんと言ってもその売り方。営業許可をもつ女性たちがそれぞれ、町のハイストリートや駅舎などで、ジンジャーブレッドを詰めたかごを持ち、手売りしていたのです。1855年のEast Lancashire Railway companyの記録にその年1年の販売許可代を支払った5名の女性の名が残っているようですが、その中には特に有名なMill StreetのSally Woods やSarah Fylesの名も。なんでも、Sarah Fyles さんのジンジャーブレッドはEdward 7世の大のお気に入りだったとか。一度は消えてしまったOrmskirkのジンジャーブレッドの火ですが、現在はリバイバルしつつあり、町でジンジャーブレッドフェスティバルが開かれたりと、町おこしにも一役買っているようです。

ormskirk gingerbread は飽きのこない、優しい味のジンジャーブレッド☆

ormskirk gingerbread は飽きのこない、優しい味のジンジャーブレッド☆

イギリスジンジャーブレッドの歴史は有名なジンジャーブレッド「コーニッシュフェアリング」という名前も示すように fair(お祭り)と共にあるといっても過言ではないもの。そのため、その土地土地のフェアの名が付いたジンジャーブレッドも各地にたくさんあります。例えば~イングランド東部の海に面したカウンティー、ノーフォークではNorwich の Easter Fair や Great Yarmouthのpre-Lent Fair はじめ沢山のフェアが古くから開かれてきましたが、そこで売られていたのが「Norfolk fair button」というビスケットタイプの丸いジンジャーブレッド。18世紀、19世紀はたくさんのジンジャーブレッド売りが 「Come buy my Hot Spiced Gingerbread !」と呼び声高らかにお客さんを集めていたそうです。
「Nottingham goose fair gingerbread」は1284年から開かれているというGoose Fair 名物のジンジャーブレッド。こちらは700年以上も続く大きなフェアとして有名です。今でこそ、電飾きらきらの移動遊園地はじめさまざまなイベントが行われるにぎやかなお祭りですが、昔はその名のとおり、ノーフォークやリンカーンシャーも含め、周辺からたくさんのガチョウが運ばれてきて開かれるがちょう市。毎年10月に開かれるのはガチョウが一番美味しくなる季節だから。この辺りではガチョウは秋に食べるトラディッショナルな料理のひとつだったそうです。残念ながら肝心のグースフェアジンジャーブレッドは今はもう作られていません。残されたレシピを見てみると、トリークルとバターがたっぷり入ったしっとりケーキタイプのジンジャーブレッドのようです。

ノーフォークフェアボタンはジンジャーブレッドらしいブラックトリークルの風味の効いたしっかり食感☆

ノーフォークフェアボタンはジンジャーブレッドらしいブラックトリークルの風味の効いたしっかり食感☆

他にもイギリス南東部 Devonshire の Widecombe-in-the-Moor の町で開かれる有名なフェアWidecombe fairで売られていた「Widecombe fair gingerbread」。同じくDevonshireのBarnstaple のフェアで売られていた「Barnstaple fair gingerbread」などなど、各フェアの名のつくジンジャーブレッドは山のようにあります。ですがもうそれらの多くは姿を消し、名前のみしか残っていないものがほとんど。ヨーロッパやアメリカなどからどんどん目新しいおしゃれなお菓子が入り、昔ながらのお菓子が消えていくのは世の流れ、仕方のないことではありますが、その土地の文化が育み、みんなが愛したお菓子が忘れ去られてしまうのはやはり寂しいもの。せめて写真とは言わないまでも絵とレシピだけでも残していてくれればな~とよく思ってしまいます。でも家庭で当たり前のように作るものになればなるほど、レシピは残っていないものなの。本当に知りたいのはそんなレシピなのですが~。一応今日のジンジャーブレッド話しはこの辺りで止めておきますが、また美味しいジンジャーブレッドと巡りあったら、ご紹介いたしますね☆

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